2015
10.20

『山怪 山人が語る不思議な話』には
キツネやタヌキにだまされる話や、
狐火やタマシイ、得体の知れない訪問者の話、
迷わないはずの場所で延々と迷ったり、
山の中で左右が反転して、思わぬところへ行ってしまったりと、
ほんとうに山の中であった不思議な話が集められている。

『山怪 山人が語る不思議な話』
著者:田中康広 / 山と渓谷社2015

昔のこと、といっても、
恐らく昭和の話で、もちろん戦後、
実際に聞き取り調査をしているのだから、
昭和の終わりから、もしかしたら平成の話であろう。

でも、こういう不思議な話は確実に過去の話になっていっている。
身近にあったはずのことななのに、
本の中の昔話になってしまっている。

『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』によると、
1965年を境に、日本人の自然観、死生観に変化が起き、
きつねにだまされる人はいなくなったそうだ。
(ただ、この本は民俗学ではなく、
そのことを通して歴史哲学を考える本でした。)

『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』
著者:内山節 / 講談社新書2007

思い出してみると、
私は幼い頃、
夕方ひとりでうろうろしていると、
人さらいが来るとか、
あろうことか、天狗がさらいに来るとか、
そんなことを言われてきた(ような気がする)。

天狗と同じく、
かまいたちも、日常にいた。
知らない間にけがをすると、
「ああ、かまいたちにやられたね」と言われた。

「七人みさき」も近所にあった。
「七人みさき」は主に海や川などの水辺に現れる亡霊だが、
交通事故の多い道を通ったとき、
母から「ここは七人みさきが立つから(事故が多い)ねえ。」と聞いた。
(これは、10年くらい前の話かなあ。)

子どもの頃にはおばから、ある化け物の話を聞いた。
「こうやって呼ぶと絶対来るけど、
来たら殺されるから(実際やったらだめだよ)。」と言われた。
その話が怖すぎて、
大人になっても、その時聞いた詳しい話は誰にもしていない。
(…と、気になってその話を検索してみたら、柳田國男の『妖怪名彙』に記述があるようだ。)

首なしの大名行列が通るから夜はここを通ってはいけないとか、
他人に話すと呪いに替わってしまうおまじない(効果はすごかった)とか、
『遠野物語』もびっくりな「不思議な」話や体験の中で私は成長した。
でも、全部、普通に身近にあったことなので、
決して「不思議な」ことでななかった。
むしろ、現実にそこにある、恐ろしいものごとだった。

『山怪 山人が語る不思議な話』のあとがきにこうある。
「ホラー映画のように、これでもかたとけたたましく人を怖がらせる何かは、山には存在しない。
むしろ逆で、しみじみと、そしてじわじわと恐怖心は湧き起こる。
それを感じられるか否かは、個人の感性に当然左右されるのだろう。」

幼い頃の私の身の回りにいた不思議な何かは、確かにしみじみと恐ろしいものであり、
まさに感性に訴えかける「あやかし」であったと思う。
恐ろしいと思う者には、大人になった今でも口をつぐませているし、
そうでないものは初めから一切信じていない。
信じていないから、ネット上で(多分何のためらいもなく)語ることもできるのだ。

2015年になっても、私はキツネにだまされ続けるだろう。

今は昔、身近にあった不思議な話。あるいは、私的妖怪ウォッチ?