2001
09.20

「あたしはね、ただ先生にまほうをかけて、先生をまどわすために学校にいってるの。」
(本文より)

舞台はニューヨーク近郊の田舎町。
転校してきたばかりで友達のいない「わたし」が、ハロウィーンの日に裏道で出会った不思議な少女は、木の上に腰掛け、魔女だと名乗った。それが、ジェニファとの付き合いのはじまり。

ハロウィーンの日には、学校で仮装コンテストがある。
ジェニファも「わたし」も、偶然「巡礼」だったのだが、「巡礼」というのが仮装になるとは知らなかった。しかも、けっこう多いらしい。日本でいえばお遍路さん?
お化けやガイコツや魔女やコウモリにはない怖さを感じる。

仮装コンテストのあと、ジェニファと一緒に回ったハロウィーンの「おふせまわり」では、巡礼衣装で病気のふりをしたジェニファがご近所の同情を引いて、かつてない量のお菓子を手に入れるというエピソードもある。

ジェニファは笑わない。
毎週土曜に「わたし」と図書館で会うときはいつもやたらたくさんの本を借りる。
決まった場所に「わたし」宛ての秘密の手紙を置く。
かと思えば、やたら古い仮装の巡礼衣装や魔女の鍋をもっている。
どうやら誰も友達はいないみたいなのに、平気な顔で学校にいるジェニファ。

それにひきかえ、「わたし」ことエリザベスは自信がなくて、はじめのうちはジェニファに盲従する。
博識で風変わりなジェニファとのわくわくする秘密がいっぱいの付き合いに、どんどん夢中になっていく。
魔女の見習いにもしてもらえて、「わたし」は大喜び。

一見かけはなれていながらどこか似ている二人は、一緒にいることで知らず知らずお互いを変えてゆく。
孤独で、いたずらが好きで、浅はかさを嫌うところ。
食べものの好みに偏りがあるところ。
だれかと、うわべだけでなく本音でつきあいたいと願っているところ。
外見はちがっても、ジェニファと「わたし」は磁石のように強く惹かれあっている。

女の子にとって、友達ってなんだろう。
ドラマや映画や小説のなかに、女の子はたくさん出てくるけど、男の子の場合とちがって、女の子どうしの友情をテーマに描いたものは、探してみると意外に少ない。
単に孤独な似たものどうしが出会って仲良くなりました、では話として成り立たないし、他の人間関係と同じく、作者が準体験をしていないと、リアルには描けない。

じつは有名な「クローディアの秘密」の作者が男性か女性か、私は知らなかった。
でも、これを読んではっきり女性だとわかった。
女性でなければ書けない物語だということが。

カニグズバーグは1930年、ニューヨークに生まれ、ペンシルバニアの田舎町で、そう、「わたし」たちの住んでいるような町で大きくなったそうだ。
ジェニファは作者カニグズバーグの幼い日々の空想の友達だったのだろうか。

もともと化学専攻だった彼女は、結婚してから1967年に相次いで本作と「クローディアの秘密」を発表した。
その2作が、その年のアメリカの児童文学賞、世界で最初にできた児童文学賞でもあるニューベリー賞を争って破れたというのだから、当時の話題のほどがうかがえる。
クローディアのように街を舞台にした冒険ものとくらべれば、確かに地味な作品なので結果は納得ゆくのだが、思わずにやっとしてつぶやいてしまう。

「ジェニファ、やるじゃない」(M) 2001年09月20日(木)

『魔女ジェニファとわたし』
著者:E・L・カニグズバーグ
訳:松永ふみ子
出版社:岩波少年文庫

2001
09.16

ティム・バートンのパペットアニメ、
「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」に教えられた、
生きるための知恵。それが、ハロウィーン精神である。
映画のなかで、一年中ハロウィーンを楽しむ彼らは、
世界のどこかに「クリスマス」という、
一年で最も偉大な聖なるお祭りがあることを嗅ぎつける。
そしてそれを阻止し、ハロウィーンを一番にするために
サンタを拉致しようとするのだが、サンタ(正義)は手強かった。
最後に彼らは、自分たちは決して善なるものではないけれど、
自分たちにとってハロウィーンこそが最高のお祭りで、
そこに関わることの意義をかみしめるのである。

 この世界にはクリスマスというメインストリームがあって、
ハロウィーンが一番になることはないだろう。
でも。しかし。大きな河はすばらしいけれど、もし魚だったなら、
住むのは変化に富んで楽しい小川がいい。
奇跡よりも、ささやかな魔法で癒されたい。
ハロウィーンの夜にはクリスマスにはない馬鹿さわぎができるし、
影のあるファンタジィがあふれている。それを好む者にとっては、
現実の世界であれ内面の世界であれ、ネットのなかであれ、
万聖節・ハロウィーン的な場所が、魂の聖域となる。

 大人になってもまだ、
“どこか人とちがっている”ことを自覚してしまった人たちの、
生きるための知恵、それがハロウィーン精神なのだ。

2001
09.11

シィアルの日記の補足?。
猫やにとって、ハロウィーンが特別なのは、きっと、それが
魔女と深いかかわりのある歳時記であることと、
同級生の3人が時を経て再び会し、
お天気猫屋(屋が漢字)という雑貨グループを作ったころに
ナルシア宅で催された、スーパーハロウィーンな凝り凝り宴会の
記憶につながるからではないだろうか。

その日のレシピは、いまもって猫やのハロウィーンに
燦然とかがやいている。
アメリカ南部が匂うようなハロウィーンの飾りもの(ほとんど手製)は
私たちの記憶のなかにしまいこまれている。

あの夕べ、私とシィアルがナルシアの家の呼び鈴を鳴らすと、
しばらくは何の反応もなかった。なぜか灯りすらない。
やがて、奥のほうから、ゆらゆらとゆれるロウソクの
灯りとともに、黒いショールを垂らした白い顔の魔女が
─それでもアメリカ帰りの魔女は以前より色黒だったのだが─
無表情にドアを開け、我々を導き入れたのだった。
玄関には、これもいまもって猫やに格納されている
カキのランタンが飾ってあったのは、いうまでもない。

( マーズ )

2001
09.10

今年も、ハロウィーンが近づいてきました。
今月から10月末まで、猫やもハロウィーンVersionです。
Topのかぼちゃから、ぜひ遊びに来てください。
これから、少しずつ、
ハロウィーンを充実させるべく、Upしていきます。

2001
09.09

ハロウィーンは、私にとって、猫やにとって、
なぜだかわからないが、とても大切な行事である。
猫や開始以来、着々とコンテンツを蓄積していっている。
(充実していっているかどうかは、甚だ不明であるが。)
言い換えれば、猫やの中でももっとも古いコンテンツの一つであり、
非常に、未熟な(というか、恥ずかしい)部分でもあるのだ。

この時期になると、毎年、そう多いわけではないが、
ハロウィーン関連の記事の中で、
ここを紹介させて欲しいという、リンク依頼が来る。
時には、まるごと、無断引用されていたりもする。
(出典は書いてくれている。)

あらためて、ハロウィーン通信を読み返してみると、
強烈に文をなしていない部分も多々あって、
恥ずかしさに、赤くなるやら、青ざめるやら。。。
ネット上に、生き恥を晒しているようなものである。
なのに、ちょっと悦に入ったりしていたから、
知らない、気づかない、ということは、
つくづく、幸せなことである。
もっとも、気づいた今は、穴を掘って埋まってしまいたい気分。

まあ、とりあえずそこも、それなりに、リライト(by maaz)し、
また、今年も、少しずつ、コンテンツを増やしていくつもりである。

(シィアル)

2000
10.31

その惑星の名はファンタスマゴリア。
訪問者は回転する惑星の任意の世界をクリック、旅が始まる。
なつかしいフープ博士の道案内によって。
たむらしげる氏の世界がなぜこれほどCGのトーンになじむのか、
漫画や童話、イラストで見ていただけの時は不思議だった。
アイデアさえあれば誰にでも描けそうで、描けるはずのない世界。
CGになっても損なわれない線のあたたかみ。

このヒットソフトの遊びごころの一つは、時によって、その日だけの
イベントが見られるという設定にある。
1年365日、その日を逃すと1年後まで見られないプレゼント。

10月31日はハロウィーンのイベントが待っている。
ファンタスマゴリアのどこかで…。
(M)

☆劇場版もあります。

☆本はこちら。

2000
10.31

1999/USA
[ Sleepy Hollow ]
監督:ティム・バートン
出演:ジョニー・デップ/クリスティーナ・リッチ/クリストファー・リー/クリストファー・ウォーケン
– HEADS WILL ROLL –

-荒唐無稽なお話を支える、細やかなリアリティ-

「スリーピー・ホロウ」の内容については、
ハロウィーンの部屋の方でナルシアが紹介しているので、
ストーリー以外で感心したことに触れます。
この映画は非常に楽しいホラーでした。
創りに創りこんだ世界の中で、
力いっぱいスプラッターが繰り広げられ、
そのたびに、客席から大喜びの笑いが…

しかし、この映画、非常に設定が細かく正確なのです。
イカボッドがヒロインのカトリーナに表に「小鳥」、
裏に「鳥かご」の絵のついた紙のおもちゃを回転させて見せているシーンを覚えているでしょうか?
甘いセリフ(?)をささやきながら、
「小鳥を鳥かごに入れて見せるよ」とか何とか言って。
実はこの紙のおもちゃは「ソーマトロープ」といいます。
1825年にイギリスで発明されたおもちゃです。
たかがおもちゃとあなどるなかれ。
これは、人間の目に残る「残像現象」を利用することで、
小鳥が鳥かごに入っているように見えるのです。
この「残像現象」を利用することが、後の映画の誕生につながっていきます。

・ソーマトロープ(1825)
・ダゲレオタイプ(1839)
・プラキシノスコープ(1878)
・キネトスコープ(1889)
・シネマトグラフ(1895)
→ 映 画 の誕生
「動く絵・幻燈・写真」こそが、映画を作り出した三要素なのです。

で、その正確さですが、映画のラストで新世紀を迎えるので、
映画の舞台は1900年の冬。
イカボッドの子どもの頃のおかあさんとの想い出のシーンがあったから、
おおよそでイカボッドの年齢分引いて、
イギリスとアメリカとのタイムラグで微調整して推測すると・・・。
ちょうど1800年半ばにソーマトロープがイギリスで流行り、
やがてイカボッドの子どもの頃にアメリカに伝わってきたという計算が合うのです。
非常に小さなことだけれど、
きちんと小道具の時代のつじつまが合っていることに感心してしまいました。
荒唐無稽な物語だからこそ、小さなウソはつかない。
なんだか、勝手にティム・バートンの心意気を感じているのですが。

とはいえ。 
・・・検証できた「細やかなリアリティ」はこれ一点なので、大声では語れませんが。