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Archive for the ‘生きとし生けるもの’ Category

2月
20

薔薇の名前は

つるバラを庭に植えた。植えてしまった、というべきだ。

花好きだった祖父は裏庭の塀に、濃いピンクのつるバラを育てていた。

祖父が亡くなっても7,8年は咲いていた。やがて枯れてしまったのは、

今思えば、水さえお天気まかせで

肥料なども一切やらなかったせいだ。

ずっと忙しくて、バラを庭に育てる余裕などないと思っていたが、

昨年末に部屋の片付けをしたのがきっかけで、

仕事が10年ぶりにひと段落ついたこともあって、年明けから

これまでできなかったことを、少しずつやっている。

1月のある日、近所の園芸店で、バラの苗が

たくさん並んでいるのを見た。

つるバラを植えるという大胆な思いが胸をよぎり、

見るだけだからと打ち消して苗を見ていると、

シリウスという白くて芯が淡いピンクのバラがあった。

といっても、冬の苗はまだ葉も出ていない。

京成バラ園の札に、花の写真が印刷されていたのだ。

お店の人に聞くと、今がまさに植える時期で、遅くても

3月までには植えねばならないという。

その日はそのまま帰った。

そしてまた、ある日、見にいった。もう2月である。

シリウスはまだ売れておらず、他の苗も減っていない。

この地の気候は、そもそもあまりバラ向きではないし、人もバラ向きではない。

その時は、スコップと土を買ってみた。小さな葉が出始めている。

そしてとうとう、ある寒い日の夕方、シリウスを買って帰った。

肥料も添えて。買ってから、しまったと思った。

自分の手に負えるものではないのにと。

でも、もう小さな葉がたくさん出ている。

買ったからには、土に植えねばならない。つるバラは。

直前になって、やはり裏庭は気候条件が厳しすぎるので

初心者としては、南の庭にしようと変更する。

車庫のブロック塀に沿って、南に面した、家の建物から

見えない場所なのだが。そこに祖父がずっと前に植えた

深紅のバラが、まだ生きているのだ。だからバラ向きのはずだと。

夕方、スコップで土を掘り、肥料も適当に入れて、

シリウスを植えた。とてもしっかりした苗である。

そしてシリウスはその日も、翌日も、

肥料の匂いに引き寄せられたアビィに根元を掘られた。

その都度、何とか土を埋め返して、少しずつ

葉を伸ばしているように思うが、まだ10日だから何ともいえない。

枝が伸び始めたら、支柱を立てねばならない。

形をどうするか、決めかねている。

悪い虫が付いたら、消毒薬も買ってこよう。

四季咲きのシリウス、ほんとうに咲くだろうか。

この冬に、やっとわかるようになった星と同じ名前の

つるバラ、シリウス。

ナルシアがいたら、シリウスをどう世話すればいいか、

あれこれ聞いていただろうに。

 

 

12月
26

土に。

あれは11月はじめの夜だったと思う。

アビィと散歩していたら、近所の道ばたに

野鳥が倒れ伏しているのに行き当たった。

口もとに鮮血を吐いていたので、ほんの少し前に絶命したと

わかったが、黒い瞳は澄んで輝き、

飛び立った命がしのばれた。

鳩ほどの大きさで、くちばしがひどく細長い。

見たことのない鳥だったので、帰って調べたら

チュウシャクシギのようだった。

それから何日たっても、田舎とはいえ人通りのある場所ではあったけれど、

民家の塀ぎわで茶と黒の保護色をしているせいか、

手をつけられることなく、私も傍観するばかりだった。

家の人も裏手なので気づかないのだろう。

やっと仕事が一段落したこともあり、

きょう、化石のような形で軽くなった鳥を拾い、

近所の山裾へ埋めにいった。

埋めるといっても、上に土を掛けるといったほうが

正しいぐらいで、もう野けものに漁られる段階でもない。

すっかり枯れた落ち葉とわずかな土におおわれ、

鳥の体は静かな場所を得たのだと思う。

それから帰ってきて、

やはり近所の散歩コースからもらってきていた

ジュズダマを庭の水場近くへ植え、

友人にもらっていた白椿の種を、鉢へ植えた。

 

土へと還るもの、

土から生きるもの。

ジュズダマや椿を、こんな時期に植えてよいのかは

わからないのだが。

チュウシャクシギはいつか、

目の前を羽ばたいてゆくだろうか。

ジュズダマが庭に実り、

白い椿が花びらをひらくだろうか。

2015年は、あてどなく生きてきたこの人生で

かつてなかったほどの年であった。

 

11月
28

柚子の季節に

奇妙な夏、と8月に書いたけれど

赤い実を鈴なりにつけていた珊瑚樹は、

やはり伐採されてしまった。

避難路を造るために。

切り株すらも残さずに。

つまりは、私たちのために。

それは10月の22日で、

私はそのころ揺れに揺れる瀬戸内海の船上におり、

親しい人が大きな手術を受けていた。

そのために、珊瑚樹の最後の日を

記憶がつづくかぎり、覚えているだろう。

いまは境内に残る彼女の仲間が、

彼女がしていたように、ほかの生命を養っている。

8月
01

蓮の咲く大きな池へメダカをすべて放流した後、昨年と同じように残った卵が孵化した。

今年は20匹を超えていたが、梅雨明けの暑さか世話人の不手際かで

淘汰されてしまい、2匹のみとなっている。

梅雨の前半は過ごしやすく、雨も少なく、行ったことはないが

沖縄のようであった。最近はむしろ関東方面の気象が、ちょっと前のこのあたりな

感じを受ける。梅雨空け10日と言われる猛暑の時期も、暑いには暑いのだが

直射日光が照り続けるというのではなかった。

うちに来るツバメは2度雛を孵し、4羽と3羽を育てた。

今年の親ツバメは南方から帰ってきた瞬間から気がきいていて、効率的だったのだが、

最初の5羽がめずらしくいっせいに巣立ってから、翌日だったか巣の中で1羽落鳥した。

二度目は少数だったので余裕で育つ。

近所の山裾にある珊瑚樹が赤い実をたわわにつけている。

そばにあった民家が空き家になって空き地になってから、

さらに丈を伸ばして10mほどになった。

いつにない赤の多さである。もしやこの樹は近いうちに伐られて

しまうのかもしれない。山へ上る避難路を作る計画があるのだ。

エアコンが壊れてしまっていることに何日もして気づき、

もう12年ほど使っていたので買い換えた。痛手である。

なんとなく慣れない。旧機のほうが好みだった。

奇妙な夏。という印象がぬぐえない夏のさなか。

7月
02

6月下旬のある日、高い山の山頂にはほんの少ししかいなかったが、

通過するにはしたのだった。

下山途中にはまだたくさんの拾うべき荷物が残っている。

そして、昨年の夏に孵化してしまったメダカの生き残り7匹(尾というよりも)を

同じ池に、昨日放流してきた。

まったくいなくなってしまうと落ち着かないので、

卵が残っているはずの水槽はそのままにしてある。

昨年生まれたメダカが1年たって、完全に親サイズに育ったものと

どう見ても子メダカなものに分かれていたのは、

単に孵化した時期が1週間ほどずれていただけのことだ。

その違いが、冬を迎えるまでの成長に影響して、

一方は子どもの姿のまま、この夏を迎えた。

これまでメダカは1年では親にならないと思っていたけれど、

夏の終わりに生まれた者だけが、成長が遅れるのだ。

個体差だけではなかったのだ。

9月
15

9月の庭

今日こそは草刈りをと思っていたが、雨でお流れ。
草に覆われてしまった庭で、この9月、
ゆいいつ咲いているのがシロバナセンダンの群れ。
ほとんど6月ごろから咲き続けているので、
さすがの私にもありがたみが薄らいでいるが、
この庭を見渡した人が、少しだけ家人の
好みを知るよすがとなっている。
アビィはいまや、犬小屋と縁を切ったかのように
つながれることなく、軒先で暮らしている。

8月
22

そして日々は続く。

メダカ去りし(去らせた)水槽を、何日か放置していた。
ふと見ると、小さいのがツンツン。
子メダカが、子メダカがいる。
しかも、5匹、いや、10匹…
卵を食べていたのは、仲の悪い親だったか。
この子メダカを放流するまで育てるとなると、
軽く1年はかかってしまう。
ということで、日々は続くのだった。
淘汰されても、残るだろうなきっと。

8月
18

メダカは仲が悪かった。

推定年齢4歳の雄メダカと、2歳を迎える、少し尾の曲がった雌メダカは
寄り添うように2度の冬を過ごした。
そんな冬の終わりごろ、突然、雌メダカが昇天。
このメダカはうちで孵化したのだったが、尾の形や体の小ささを見ても
あまり長生きはできなかっただろう。
それから独りになってしまった雄メダカが寂しげに見えてしまうので、
ペットショップで3尾のメダカ(同じ黒メダカ)を購入した。
それでなんとなくにぎやかになったのはよかったが、
ひと月もしたころ、突然、雄メダカが昇天。
そうなると、追加した3尾がまだ成熟しきってないサイズだけに、
今後のことが心配になってきた。
野外の軒下に置いたボウルで飼っており、エサやり、水替え、
貝の駆除や水草の交換、プクプクの錠剤交換、なんやかや、けっこう手もかかる。
メダカの世話を家族にも頼めず、夏場は留守もできない。
という不安を胸に観察していると、まあ観察するまでもなく
瞭然なのだが、3尾の仲はあまり良好とはいえなかった。
特にエサを与えた直後は、体の大きい雄メダカ(とはいえまだ小さい)が
雌メダカのうち、小さい方を追い回していじめるのだ。
もう一尾の雌メダカには、そんなことはしないのに。
それを毎朝の食事で見せられて、困ったものだと思っていた。
そんな時に知った、メダカや小さい魚、ニシキゴイなどまでいる池の存在。
「いざとなったら、あそこへ放そう」という決心をした。
決めてしまうと、善は急げで、昨日のこと、彼らを運んで行って、
容器にそこの池の水を半量入れてしばらくなじませてから、
放流した。といえば聞こえはいいが、捨てたのである。
水不足の夏でもあり、以前見たよりも水量は少なかったが、
一応きれいな水が流入してくる池だし、公園になっていて
大きな鯉もいるのだから、干上がったりはしないと思う。
さらばメダカ、3年余りの心苦しき日々よ。
私には彼らとの生活は、向いていないと思った。
癒やされるよりも気苦労につきまとわれた日々。
まだボウルはそのまま置いてあるが、最近も見かけた卵が
孵化しないことを祈る。
おそらく貝が食べてしまうであろう。

6月
16

あれは虫ではない。

マダニはクモやなんかの仲間だそうだ。
去年の雨多き、というよりも何ヶ月も雨の続いた夏以来、
大発生してしまったうちの庭。
彼らの吸血対象は、庭にいる哺乳類、アビィである。
前にも日記に書いたことがあるけれど、
犬からマダニを取るには、オリーブオイルを指先に塗って
ダニの体を「もみもみ」すると、コロッと離れる。
なぜなのかは知らないけど、ロマンス小説で読んで以来、
実行している。
ただ最近はそれも面倒になり、かといって、プチッと
やると犬の皮膚にダニの注射器が残ってしまうので、
適度な刺激を与えながら、油断させて
じわじわっと引っ張る作戦にしている。
本当にそんなことでダニの全身が取れているのかは
わからないけど、ダニも自然界ではこのように取られることは
ないだろうし、死ぬよりは注射器を引っ込める方がいいはずだから
ジワジワ攻撃には油断するのではなかろうかと。
獣医さんには専用のピンセットもあるらしい。
マダニの害は、昨年あたりから死亡例が出たりして
取りざたされているが、ネットにはまだまだ、マダニの生態に
関する情報が少ない。
ゲンジボタルだって、ちょっと草刈りの時期を外すだけで
全滅してしまうのだから、マダニとて、そのような
生態に見合った攻撃の方法があるはずなのに。
2,3年生きるらしい彼らが吸血するのは、何度かの脱皮と、
命と引き替えの産卵のためだという。
その長い?一生で、動物の血を吸うのは、ごく短い期間。
マダニが何千個もの卵をどんな植物に、どのように産卵するのかも
今の私は知らないでいる。アリとの関係も。
マダニはけっこう足が速い。毛足の長いカーペットの上を
一心に、目的を持って、私―きっとオレンジ色に見えるのだろう―の
方へ進んでくるマダニを、「なんだろう?」と捕獲して
ルーペで見た時の、おどろき。

4月
22

カーさん

『カラスの教科書』(松原始・著)を手に入れ、読み始めた。
カラス好きが書いた、カラスの本が、ずっと
読みたかったのだ。
この本は、見るからにそういう気配だ。
さっそく引用してみよう。
”誰かのお土産らしいクッキーが置いてあるのだが、
カラス的には、当然、食べてもいいよね?”
そうかそうか、
「ボソ」と「ブト」ね。なるほどなるほど。。