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Archive for the ‘生きとし生けるもの’ Category

7月
08

メダカは気が強い。

その後、メダカたちがどうなったかを書いておこう。
まず、おそらくは水質の悪化で2匹が死んだ。
それから、同じ仕事をした人たちの事務所へ、3匹を引っ越させる。
(翌日2匹死んだそうだが、子メダカが2匹、まじっていて数週間たつうち、
少し成長した。)
今、うちのガラス鉢には親メダカが2匹しかいない。
偶然雄と雌だったので、卵は次々と産んでいて、孵化したらすぐに
洗面器へ用意した子育てルームへすくいとって移している。
数えられないけれど、20匹近くいる。
彼らの成長は意外にも遅く、1ヶ月くらいでは親にならないと知った。
買った藻についていたサカマキガイが、両方の水槽にいて、
これがおそらくメダカの卵を食べているので、このところ、親メダカの
水槽で子メダカを見ることがない。もちろん貝は水の浄化に役立っている。
それと、錠剤タイプのプクプクを入れているので、
毎日、水の1~2割を入れ替えていれば、
初期のようなことにはならないと思う。
メダカ(クロメダカ)を飼育して気付いたことは、彼らが決して大人しい魚では
ないということだ。むしろ強欲な感じがする。
生まれて数日の稚魚ですら、ツンツンと追い散らし合う。
まあ、彼らが遺伝的にほぼ同じだからそうなるのかもしれないが。
そして今の私にとって、絶対にあの20匹をすべて世話し続けることは
できないので、なるべく近いうちに、屋内から屋外へ、居を移すつもりである。
それなりに深く、水温が上がりすぎたりしないような陶器の鉢へ。
そこなら生き餌(ボウフラや糸ミミズみたいな生きもの)も自給できるし、
今のように神経質になることもない。
(神経質という言葉を作ったのは森田正馬であると、つい思ってしまう)
新居では、どうあっても、親子を一緒にするつもりである。
そして、めったに中をのぞかないつもりだ。自然のなりゆきに任せて。
人はそうするべきだと言ってくれたが、やはりその通りなのである。
ミジンコを拡大して見る、という野望はいまだに叶わず。
売っているのだが、量が多すぎて躊躇してしまう。
いずれ手に入れて、植物園に置いてある無料の顕微鏡で見るのだ。
そんな小学生のような目標を、この夏叶えられるかどうか。

7月
08

猫の手

なぜか、猫には手がないことになっている。
あれはすべて、足なのだ。
猫の手も借りたい、などと言う割に。
でもやっぱり、前足だの後ろ足だのというのは
猫に対して失礼きわまりないので、顔を洗ったり
獲物を捕まえる時に使う2本は、手ということにしよう。
それで、私は猫の手の裏も、足の裏も、好きである。
世界じゅうの猫の手足の裏は、黒かピンクだと
思っているけれど、ひょっとしたら違うのかもしれない。
ちなみに、うちのチットとチャイコは、どちらもピンク。

6月
05

寄宿していた虫

家族がホウ酸だんごをもらってきて、家の各所に置いた。
効き目はおそろしいほどで、家中にひそんでいたゴキブリが
毎日のように、出てきては息絶える。
あるいはとどめを刺される。
昨年の暑いある夜のこと、バサっと部屋に
飛び込んできた黒いゴキブリがいた。
私はゴキブリに関してはまったく殺意を持たないので、
そのへんをうろついていてもおかまいなし。
夜の間に出てきては、ドライのキャットフードを
かじったりしていたようだ。
ひとつの粒を半分ほど、猫ではありえない細かなかじり方で
食べていることが、よくあった。
でもおそらく、十中八九、私の部屋にはホウ酸だんごはないけれど、
この部屋に寄宿していた茶色い虫もまた、駆除されて
しまったのだと思われる。
あういはとどめを刺されてしまったのだと。

6月
01

メダカは待ってくれない。

6月を待たずに、5月30日、メダカが7匹
もたらされた。クロメダカである。
仕事で使ったガラスの鉢と水草も一緒に。
あとは、家に用意してあった水トクサと
あちらこちらで拾い集めてあった大小の石を入れ、
とうとう、小さなわがビオトープができあがった。
置き場所に悩んだ末、それなりに明るい廊下の窓際へ。
自室は猫たちがいるので、問題外。
もっと大きい焼き物の鉢なら、外へ置くけれど。
ただし、家族が睡蓮を忌み嫌うので、睡蓮鉢にはできない。
メダカのエサも買ってきた。
みじんこは、これから。
とりあえず、メダカは元気らしい。
いきなり世話が始まってしまった。

5月
29

みじんこ。

小学校の理科で、みじんこという生き物を教えられた。
でも、本物を見たことがない。
どう考えても不思議な形なんだけど、田舎の水辺でも
みじんこに出会ったことはなかったし、
じゃあ水を拡大して見てみようというほどの理科好きでもなし。
不思議な親近感を抱いたまま、数十年がたっている。
今はビオトープのメダカなんかが食べるエサ用に
乾燥だか冷凍だかの、みじんこが売られているそうなので、
6月に作る予定の庭先ビオトープ(あるいは窓際ビオトープ)に
買ってみようと思っている。
もう、みじんこの生態については、ほとんど覚えていない。
それでもやはり、絵を見るとなつかしい。
肉眼で見える程度の大きさらしいので、せめて
虫メガネで見てみようと思う。
もし、ビオトープに生きたみじんこが入ってきたら、
それはそれでうれしい限り。
コンラート・ローレンツ博士の『ソロモンの指輪』で夢見た
アクアリウムが、庭先ビオトープで作れる時代である。
今度は失敗しませんように。
メダカと、エビも入れたい。
クロメダカは育てている人から分けてもらう予定。
自然界からは消えかかっているメダカが、
家庭でこうやって繁殖しているのは
地域の伝統野菜が家庭菜園で守られているのに似ている。

3月
05

アビィは変わった。

昨年の末に、アビィの犬小屋を買った。
来たるべき寒波に備えて、あまり犬小屋の中で眠らないアビィが
ゆったりできるようにと。
彼女が5年も住んできた小屋は、父が作ったものではあるが、
アビィがまだ成長しきってないころ、先住犬であるルーの小屋と同じサイズで作った。
ふとアビィのサイズを測ってみて、体長が80cm以上あることを
知ったので、さすがにこれではいけないと、あわてて探した。
奥行きが80cmしかなく、満足に立てない、体を伸ばせない狭さだったのだ。
取り寄せた犬小屋は、木のパーツを組み立てて作った、とんがり屋根。
じゅうぶんな広さが確保できた。ただ、入り口に扉はない。
閉じこめられたくないようだし、寒さには強い犬だから、扉のことは後から
考えることにした。(今はバーを付けて、犬用のファブリックを垂らしている)
さて、アビィは何日も、外で寝ていた。ほとんど小屋には入らない。
それでも雨の日はさすがに中で寝ていたと聞いて、では何が、ためらわせているのかと。
そこで、仕事で会ったドッグトレーナーさんに聞いたことを実践していった。
コミュニケーションはアイコンタクトから始まるというので、
目を合わせては言葉を掛けた。
そして、犬小屋へ身を半分入れて、広いね、いい家だねと
ほめたたえることもした。自分で買っておきながら褒めるというのも
おかしなことだけど、そこはそれ。
気のせいかも知れないけれど、ちょっと、まんざらでもない顔をしていたような。
そんなことをしていたら、アビィは「ハウス」と言えば、
犬小屋へ入るようになっていった。1週間もしないうちに。
フードで引き付けるということはせず、頭をなでるとか、褒めるとかで。
それだけではなく、「好きな人が呼んだら絶対来る」というトレーナーさんの
言葉どおり、庭で放していて、つなぎたい時にも、
呼べば素直に来るようになったし、顔つきまで変わったのだ。
焦げ茶だった顔の色が薄くなってきたこともあり、
以前のアビィとは違う犬といってもいいほど、堂々として落ち着いた。
いつごろまでだったか忘れたけれど、つい最近まで、人が近くを通ると、食事していても
飛び上がるような臆病さがあった。子犬のころの放浪体験が
尾を曳いていたのだが、それも今ではほとんどおさまっている。
今までの5年間を通して、ずうっと、持てあまされてきたアビィ。
うちへ来るまでの苦難が溶けてきたのは、時間がたって
落ち着いたせいもあるだろうけど、アビィをあずかる私との関係も
やはり、大きいのだと実感した。
先住犬の老いたルーがいるわけだし、両方を同じようにかわいがるべきだとは
言っても、嫉妬する犬たちをどうすればいいのか、あきらめかけていた。
成犬が1ヶ月くらいでこんなに変わってしまうとは、思いもしなかった。
ちょっとしたコミュニケーションのコツを教えてもらったことで、
アビィは前よりも幸せな犬になったと思う。
私もまた、幸せな飼い主になれた。
6年目が始まった。
これで、アビィがルーを噛むことがなくなれば、
ルーもまた、幸せになれるだろう。
去年すっかり聴力を失ってしまったことも、ライバルのアビィに対しては
ルーの気持ちを落ち着かせているようだ。
狷介な闘争がなくなることを願っている。

2月
22

梅とミツバチ

ずいぶん日記を休んでいた。
なれない市民活動に時間と手を費やしているが、
結果はどうなることか。今まで、いかに部外者だったことか。
庭の白梅が、数週間にわたって咲いている。
どこから来るのかわからないが、日本ミツバチも群れている。
木の下はこのところずっと、小さな無数の羽がうなる音で震動している。
ミツバチだけでなく、ハチもどきもいれば、他の虫も織り混じり。
先日、天満宮の紅梅を嗅いだら、白梅とは非なる香りがした。
家の紅梅はもうずいぶん前に枯れてしまったが、
それとも異なる、玄人さんっぽい香りだった。
多くの人に愛でられる梅だからかもしれない。
しかし、野のミツバチたちにとって、春先の花がない時期、
うちの白梅は貴重なのだろう。
こんなに彼らが活動的なのは、南国だから。
ただし、昼間はあたたかくても、夕方近くなって日陰に
降り立ったハチは、それだけでこごえてしまって、
絶対的な女王である母蜂と仲間のいる巣へ
帰り着けなくなることも多いらしい。命がけの飛行なのだ。
そしてもうどこかの木のうろに、白梅のハチミツが
貯め込まれているにちがいない。人知れず。
誰ひとり、今年の白梅が転じたその富貴を嗅ぐことは叶わぬだろう。