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Archive for the ‘世にあって’ Category

1月
20

山をかじりて。

仕事の大きな山ができている。
まわりで予測不能なできごと、あるいは予測されていた以上の
できごとが相次いだ昨年。
じわじわと遅れていった仕事が積み重なって、
風邪による停滞が拍車をかけ、
平時でも大きめの山が、非常時にはこんなに大きな
山になるものだと、少しあきれ、開き直りかけている。
少しずつかじり取って咀嚼しながら、山を食べてゆく。
たぶん、春までには食べ終わると信じるしかない。
食べずにただかじり取っていったって、山はいつかなくなるけれど、
味を見なければ、楽しめないから。
最近、電子ブックのリーダーをもらった。
持ち歩けるという強味で、まとまった時間はなくても、
そこに入れてくれていた『嵐が丘』のハーレクイン版を読めた。
訳はきちんとしていた。
たった2軒の家の間で婚姻が続き、10人ほども死ぬ物語。
簡易版なので、おそらく1/3ぐらいの量だろう。
読み終えて、何年も前に買って読めていない普通の文庫版を
ぱらぱらと確認した。ちょっと泣いた。
大きな違いは、ヒースクリフの印象だと思う。
それと、幽霊。

12月
23

皆既月食

12月10日、ふるえつつ眺めた皆既月食。
満月が少しずつ欠けてゆき、最後の光が吸いこまれると、
ほの暗いオレンジ色の丸い影が、しばらくの間、天空にかかっていた。
いまの私の日常は、影になったあの月に似ている。
周囲が欠けてゆくと、自分の輝きも、ほの暗くなる。
この年末、そして年始への皆既月食が終わるのを、待っている。
自分にできることはあまりないけれど、
あわてないように、落ち着いていられるように。

11月
19

甘くはない思い出

先月のこと、ミツバチの巣を駆除するために、使っている2室の押し入れを
上段だけ空にした。
基本的に、出てきた物は、なくても一生困らない物ばかり。
それでも、今まで捨てられずに押し入れへ貯め込み、
やがて忘れていた物たち。
古い物をかなり整理したが、なかでも大学時代の課題やら何やらと
長い時間を経て対面したことは自虐的な滑稽さを感じた。
作品が残る授業なんていうものも苦しいが、
あらためて眺めて、才能がないことよと納得するのも苦しい。
それとともに、指導の大切さも思った。
自由な空気が支配する学校ではあったが、基本的な技術とか
構成の仕方とか、もう少し難易度の高い技術とか、
あのころ教えてもらうべきことは、まだまだあったと思う。
ただまあ、書いた物に関しては、今読んでもそれほどには
ひどくない。若いし青いし、ここぞというところが弱いけれど、
それでも、どっちかと言えば、進む方向はこっちだよね、と
思わされて、納得してしまう。
それに関しては、学校では専門家がおらず指導されてないので、
ここを指導されていれば、完成度がぜんぜん違うのに、とも。
押し入れとの格闘は、まだ続く。
下の段の奥には、大学へ入る前の準備段階も残っている。
でも、あれは指導のもとに描いたものだから、
進歩の跡が見えるのだ。だから残しておくかもしれない。

9月
25

昨日までの縁。

昨夜、流し台で洗い物をしていて、
マグカップが欠けてしまった。
30年ほどの長きにわたり、私とともにあったマグカップ。
雑貨品のわりに、しごく頑丈なカップであった。
この街にもとあったデパートで買ったと記憶している。
ベージュの地色に、縁のところだけ木馬の絵が
連なっていて、countryのスペルをcontryと間違えているところが愛敬。
マグカップはいくつか同時に使っているが、最も長い付き合いとなった
このカップだけは、一生私の生活についてまわるのではないかと
思っていたのだが、そうはならなかった。
これも変化である。
30年、チープなマグカップに年月の重みが味となるような作用は
見られないようだが、
使い手のほうは、どんなものか。

5月
17

好奇心あるいは油断

あれは何かしら。
これはいったい、どういう意味かしら。
運転中には、そういうことにとらわれてはいけない。
瞬間、とらわれたために、コツンと(あるいはガチャッと)
前の車にぶつけてしまった。
気を取られていたのは、石碑に刻んだ文字。
つい、顔を振り向けてしまったのだ。
怪我もなく、相手の車のわずかなキズで済んだけれど、
全面的に非があるため、こちらの保険を使って修理をすることとなった。
バンパー交換になるだろう。
このごろ、田舎へ行くと石碑を読んでいた。
たいていは道路やダムなどの改修記念碑で、それが意外にも
美文というか、功績を讃える文章がはなばなしく、
気宇壮大というべきスケールなのだった。
もちろん、運転しながらそんなところまでは読めない。
そもそも、美文調は裏面だし。
表にはただ、改修記念と彫ってあっただけ。
振り返る必要などないのだが、油断していた。
日々の好奇心がそのまま仕事になってしまうから、
おそらくこれからも、全面的には止められまい。
今は合意があれば現場へ行かなくても
警察署でこと足りることを知った。場合によりけりだが。
警察へ電話をしたら、まず、「事件ですか事故ですか」と
きかれるということも、わかった。事故処理の手順も。
しかし。
油断はいけない。目の前にあることに、できるかぎり集中して。



あれは 何かしら。

4月
19

女性専用シート

県議会には女性専用シートを用意すべきである。
せめて、3割からで良いから。
選挙区の問題も、イデオロギーも飛び越えて。
そうすれば、もっと居心地の良い社会が
できるはずだというのは根拠がないだろうか。
そうは思わない。
男性ばかりで埋め尽くされた議場を見て、
ガラガラの傍聴席を見やる。
いったいどうして男たちは、こんな状態を
ほうっておけるのだろう?良心はとがめないのか?
政治に向いている女性だって、たくさんいるのだ。
2年もすれば、やがて慣れる。
5年もすれば、老練にすら、なれる。
政治家として。

4月
19

パーセンテージ

ふと気になって、都道府県の議会における、
議員の男女比を図書館で調べた。
もとい、司書さんに調べてもらった。
こういうデータは、男女共同参画関係の統計に
載っているとわかる。
先日の県議会選挙では、女性は増減なしだった。
でも、そもそも、なぜこれほど少ないのか?
という疑問と、なぜこれを放置しておくのか?
他ではどうなのか?
ちゃんと数字を把握したいということで、調べたのだ。
昨年から2度、県議会を傍聴した時に、
議員席を見おろして(そういう構造なのだ)、何だこれはと
あきれを通り越してしまったから。
データによれば、うちの県と同じ数の県は、けっこうたくさんあった。
たった1人の県すらあった。大分県。
さらに、0人の福井県。
渦中の福島県には、6人の女性議員がいた。
そのことは、大いなる希望だと思う。
被災者にがんばれとは言えないが、6人の女性議員には
がんばって欲しいと願う。

3月
28

もうすぐ4月

3月11日、東北・関東が大震災に見舞われた時刻、
日清日露の戦争で亡くなった兵士数千人を祀る忠霊塔にいた。
小高い山上にあり、ほとんどの市民に忘れられている場所。
初めて訪れ、言葉もなくただ祈るしかなかった。
すべての不明な方の行方が、一日も早くわかりますように。
避難されている方が、少しでもあたたかい食べ物や安心な居場所に恵まれ、
善意に、触れられますように。
彼岸を過ぎて、もうすぐ4月。
日本中に、そして忠霊塔にも桜が咲く。
世界中で、祈りの声は途切れない。
半年にわたって関わってきた市民活動も、
桜とともに、いったんの幕を降ろす。
守ろうとしてきたものは守れなかったが、
これからも見守ることは続けたい。