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Archive for 3月, 2011

3月
28

もうすぐ4月

3月11日、東北・関東が大震災に見舞われた時刻、
日清日露の戦争で亡くなった兵士数千人を祀る忠霊塔にいた。
小高い山上にあり、ほとんどの市民に忘れられている場所。
初めて訪れ、言葉もなくただ祈るしかなかった。
すべての不明な方の行方が、一日も早くわかりますように。
避難されている方が、少しでもあたたかい食べ物や安心な居場所に恵まれ、
善意に、触れられますように。
彼岸を過ぎて、もうすぐ4月。
日本中に、そして忠霊塔にも桜が咲く。
世界中で、祈りの声は途切れない。
半年にわたって関わってきた市民活動も、
桜とともに、いったんの幕を降ろす。
守ろうとしてきたものは守れなかったが、
これからも見守ることは続けたい。

3月
05

アビィは変わった。

昨年の末に、アビィの犬小屋を買った。
来たるべき寒波に備えて、あまり犬小屋の中で眠らないアビィが
ゆったりできるようにと。
彼女が5年も住んできた小屋は、父が作ったものではあるが、
アビィがまだ成長しきってないころ、先住犬であるルーの小屋と同じサイズで作った。
ふとアビィのサイズを測ってみて、体長が80cm以上あることを
知ったので、さすがにこれではいけないと、あわてて探した。
奥行きが80cmしかなく、満足に立てない、体を伸ばせない狭さだったのだ。
取り寄せた犬小屋は、木のパーツを組み立てて作った、とんがり屋根。
じゅうぶんな広さが確保できた。ただ、入り口に扉はない。
閉じこめられたくないようだし、寒さには強い犬だから、扉のことは後から
考えることにした。(今はバーを付けて、犬用のファブリックを垂らしている)
さて、アビィは何日も、外で寝ていた。ほとんど小屋には入らない。
それでも雨の日はさすがに中で寝ていたと聞いて、では何が、ためらわせているのかと。
そこで、仕事で会ったドッグトレーナーさんに聞いたことを実践していった。
コミュニケーションはアイコンタクトから始まるというので、
目を合わせては言葉を掛けた。
そして、犬小屋へ身を半分入れて、広いね、いい家だねと
ほめたたえることもした。自分で買っておきながら褒めるというのも
おかしなことだけど、そこはそれ。
気のせいかも知れないけれど、ちょっと、まんざらでもない顔をしていたような。
そんなことをしていたら、アビィは「ハウス」と言えば、
犬小屋へ入るようになっていった。1週間もしないうちに。
フードで引き付けるということはせず、頭をなでるとか、褒めるとかで。
それだけではなく、「好きな人が呼んだら絶対来る」というトレーナーさんの
言葉どおり、庭で放していて、つなぎたい時にも、
呼べば素直に来るようになったし、顔つきまで変わったのだ。
焦げ茶だった顔の色が薄くなってきたこともあり、
以前のアビィとは違う犬といってもいいほど、堂々として落ち着いた。
いつごろまでだったか忘れたけれど、つい最近まで、人が近くを通ると、食事していても
飛び上がるような臆病さがあった。子犬のころの放浪体験が
尾を曳いていたのだが、それも今ではほとんどおさまっている。
今までの5年間を通して、ずうっと、持てあまされてきたアビィ。
うちへ来るまでの苦難が溶けてきたのは、時間がたって
落ち着いたせいもあるだろうけど、アビィをあずかる私との関係も
やはり、大きいのだと実感した。
先住犬の老いたルーがいるわけだし、両方を同じようにかわいがるべきだとは
言っても、嫉妬する犬たちをどうすればいいのか、あきらめかけていた。
成犬が1ヶ月くらいでこんなに変わってしまうとは、思いもしなかった。
ちょっとしたコミュニケーションのコツを教えてもらったことで、
アビィは前よりも幸せな犬になったと思う。
私もまた、幸せな飼い主になれた。
6年目が始まった。
これで、アビィがルーを噛むことがなくなれば、
ルーもまた、幸せになれるだろう。
去年すっかり聴力を失ってしまったことも、ライバルのアビィに対しては
ルーの気持ちを落ち着かせているようだ。
狷介な闘争がなくなることを願っている。

3月
05

魔女と雪の山

思わぬ雪で、帰り道の高速道路が通行止めになっていた。
高速道路と絡みながら走る旧道も、けっこうな山奥で、
滑る箇所があると教えられた。
となれば、適度な時間で帰れる迂回路は、基本的に1本しかない。
県境の長いトンネルは、まだ雪にやられていないだろうか。
心配しても、行ってみなければわからない。
特別なタイヤもチェーンも、当然持っていない。
とりあえず、通行止めなどの情報が入ってないという
国道事務所の人の言葉を信じ、コンビニで食糧を入れる。
夜の雪山越えに挑んだ白いクルマには、魔女ふたりと、行った先で
買い求めた、2m近い長さの、白い棚ひとつ。
長いトンネルの手前までは、道路には雪がなかった。
周囲の森は、きれいに粉雪をかぶっていたけれど。
トンネルを抜けると、路上にも同じような粉雪が。場所によっては数センチ。
少し前に追い抜いて行った1台が残したわだちをなるべくトレース
しながら、40キロ以内に抑えて、ひたすら下り坂を進む。
人家もない道が続き、ふと見上げると星が出ていた。
きっと大丈夫だろう、いくらなんでも大丈夫だろう。
結果は大丈夫で、午前1時には帰宅したけれど、
あと1時間遅ければ、大丈夫ではなかっただろう。
そしてあの雪山を、あの夜遅く越えていった魔女のクルマは、
1台だけだっただろう。
予期せぬ冒険の相棒となった白い棚には、
どんなものが飾られるのか、楽しみにしている。
私の棚ではないけれど、相棒感は当分消えない。