8月
15

空を飛ぶ人

猫やを始めて少しした頃だったと思うけど、メールソフトのポストペットを使うようになった。
キャラクターからのメールも時折入っていて、それが何よりの楽しみだった。
今でも忘れられないのが、
「わし、広島の生まれじゃけん(ウソ)」
というのだ。夜中に来ていて、仕事しながら笑ってしまった。
一行だけのメール。
ポストペットを開発した八谷さんが、
あのメールを書いたのではと思っている。
八谷さんはやがて、浮きあがって空を飛ぶことを
研究するようになったらしく、
テレビに出ていたこともあった。
つい最近には、「風の谷のナウシカ」に出てくるメーヴェを
実際に作って飛ばせる実験を
していることを、新聞で見た。
うまくいくことを願いつつ、
八谷さんにポストペットのお礼を
伝えられたらなと思う。

8月
13

花火

今年も花火を買ってきた。
線香花火の入っているセット。
何年かまえにおもちゃ屋さんで求めたものほど
いい花火ではないけど、
線香花火をするために、今年もまた。

8月
01

蓮の咲く大きな池へメダカをすべて放流した後、昨年と同じように残った卵が孵化した。

今年は20匹を超えていたが、梅雨明けの暑さか世話人の不手際かで

淘汰されてしまい、2匹のみとなっている。

梅雨の前半は過ごしやすく、雨も少なく、行ったことはないが

沖縄のようであった。最近はむしろ関東方面の気象が、ちょっと前のこのあたりな

感じを受ける。梅雨空け10日と言われる猛暑の時期も、暑いには暑いのだが

直射日光が照り続けるというのではなかった。

うちに来るツバメは2度雛を孵し、4羽と3羽を育てた。

今年の親ツバメは南方から帰ってきた瞬間から気がきいていて、効率的だったのだが、

最初の5羽がめずらしくいっせいに巣立ってから、翌日だったか巣の中で1羽落鳥した。

二度目は少数だったので余裕で育つ。

近所の山裾にある珊瑚樹が赤い実をたわわにつけている。

そばにあった民家が空き家になって空き地になってから、

さらに丈を伸ばして10mほどになった。

いつにない赤の多さである。もしやこの樹は近いうちに伐られて

しまうのかもしれない。山へ上る避難路を作る計画があるのだ。

エアコンが壊れてしまっていることに何日もして気づき、

もう12年ほど使っていたので買い換えた。痛手である。

なんとなく慣れない。旧機のほうが好みだった。

奇妙な夏。という印象がぬぐえない夏のさなか。

7月
02

6月下旬のある日、高い山の山頂にはほんの少ししかいなかったが、

通過するにはしたのだった。

下山途中にはまだたくさんの拾うべき荷物が残っている。

そして、昨年の夏に孵化してしまったメダカの生き残り7匹(尾というよりも)を

同じ池に、昨日放流してきた。

まったくいなくなってしまうと落ち着かないので、

卵が残っているはずの水槽はそのままにしてある。

昨年生まれたメダカが1年たって、完全に親サイズに育ったものと

どう見ても子メダカなものに分かれていたのは、

単に孵化した時期が1週間ほどずれていただけのことだ。

その違いが、冬を迎えるまでの成長に影響して、

一方は子どもの姿のまま、この夏を迎えた。

これまでメダカは1年では親にならないと思っていたけれど、

夏の終わりに生まれた者だけが、成長が遅れるのだ。

個体差だけではなかったのだ。

6月
10

ブログが新しくなってもまだ、

山登りはまだ続いている。

いったん自分の分を出し終えて頂上に旗を立てたのだが、

他のメンバーからおすそ分けをもらうために

キャンプまで旗をもらいに行った。

最終的な登頂はいつになるのか。

間違いなく今月中に、頂上からの景色を拝んでいるはずである。

それにつけても、道は長い。

 

2月
09

またしても山

数年前に、年度末締切の長期仕事をかかえていた。
それが終わったころから始まった3年がかりの長大な仕事。
当初考えていた以上の割り当てをもらってしまった。
いよいよ締切が迫ってきて、予定では遅くとも
年度末までには仕上げねばならない。
住民ではないが関わりの深い町の町史をつづる。
謙遜でなく、こんな若輩者が携わってよいのかという悩みとともに
山の頂上をめざしている。
ただ、ここ10年ほどの、町を築いてきた産業との関わりのなかで
見聞きしてきたことや、新しく研究されたことなどの
近くにいたために、うまく書こうとしなければ、適任なのかも
しれないとも、思う。
地元でもそれだけ外向けに知られてないことが多く、
事情を最も知る人は、文章を書くのが苦手だという。
もちろん私の把握していないことがらもたくさんあるが、
おそらく把握されないまま終わるだろう。
20年以上前に、フリーで仕事を始めた時、
この産業に関わることには、社会的な貢献をしたいと
願ったし、できる限りのことはしてきたつもりだ。
その決意に従えば、断れない誘いだった。
40年以上にわたるできごとを書き残す今回の
町史の仕事が、私の力の及ぶ限りのことなのかどうか、そこが問題だが。
道を逆戻りすることはできないのだ。
キャラバンの一員となった以上は。
足許を踏み外さないように、進んでは休み、せめても
この荷物を良い状態で届けたいと願う。
頂上から眺める景色のことなど、考えずに。

1月
02

年を越して。

年越しそばを食べるのは、
新しい年へ無事に滑り込むように願っての行事だと、
地元民俗学の先生がおっしゃっていた。
そばを食べるのはなんとなく関東の習俗だと思っていたが、違った。
ただ、こちらの地元では麺にするのではなく、
そばがきにしていたらしい。
そばは、粘る。なるほど、するするっとね。
民俗学の講座は地元新聞社の文化教室で、
昨年の1月から月一度通っている。
毎回、ものすごく有益なのだが、情報があふれ出して
この頭からもれていく。
でもノートは多分、誰よりも熱心に取っている。
12月に学んだもっとすごいことは、正月に欠かせない絶対的
アイテムが、お餅だということである。
それすらも知らなかったのである。

12月
28

おのれを知る

そう。本日やっと気づいたことがある。
私の思考の癖。傾向。
「考えてみれば」というのがアタマの中での癖なのだと。
ものごとをつきつめて考えるとか、そういうのではない。
最初に何かの対象に出会った時には
気が回らず、見過ごしていることなどに
しばらくして、あるいは数十年もたってから
気づくことが多いのだ。
行き当たりばったりで、仕事柄もあって一期一会な生活を
余儀なくしているのも原因かもしれないし、
過去をひっぱり出してはもの思いにふける傾向が
強いからなのかもしれない。
考えてみれば。
これから座右の銘にしようか。
他人にはわかりづらいが、考えてみれば
座右の銘なんて自分にわかればいいのだ。

12月
10

フルトマのように。

今年は年回り的にも体力的にも家族の状況的にも
無理をしないほうがいいと判断し、
仕事を減らしたり減らされたりしてきたおかげで、
後半とみに財布が軽かった。
ペースも落ちているので、いつもいそがしくて
気持ちがせかせかしていた。
そんななかでいいものができるかどうか
わからないのだが、
ハウスで育つ冬のトマトたちは、水をおさえて
葉を枯れさせられてこそ、甘くおいしく実るのだ。
何もかもが満ち足りた人生などない。
わかってはいるけれど、
フルトマのような環境は願わない。
私の葉は枯れて見えるだろうけど。
今年、身近な人に聞いた人生の摂理。
すべてを手に入れることはできないので、
多くを手に入れたら、かわりに何かを失う。
そういうふうになっているのだと。
それがルールなのなら、大胆な望みを叶えるべきでは
ないということである。覚悟もなしに。

11月
09

秋野菜

東京へ送るために見回してみて、
11月ごろというのは、みずみずしい野菜が
出回る時季なのだと改めて認識した。
これから冬へ向かう季節だから、そういう風には
思ってなかったのだった。
南国で食材に恵まれている土地ではあるが、
直販所ならずとも、スーパーでもけっこうな品揃え。
美しいものが手に入った。
冷蔵の宅配便で、ほぼ1日あれば向こうへ着く。
この土地にしかない2種類の野菜を含め、
箱を開けた感動が予想できるのは嬉しいことである。