2012
10.31
ハロウィーンの夜に花火、っていうのも
枯れ野のボン・ファイヤー的で
まあまあ、似合うんじゃないでしょうか。
ただし花火は、おもちゃ屋さんのが
おすすめです。
やっぱり、ものが違います。
子どもたちに楽しいものを売る
専門店ですからね。
ちなみにこの3つつながった花火は、
「ひとだま たこおどりセット」という
名前で、しかも、「ひとだまくんシリーズ」の
ひとつらしいのです。
「冷ややかな緑色の3つの炎がオカルトムードを演じます」
「火薬類はいっさい使用しておりません」などと
書いてありますよ。
ほかにも注意書きが、やたら長いです。
おお!「ハローウィンにも」と書いてある。
おもちゃ屋さんで、380円しましたが
それだけの価値は、あったわけです。
その時に買った普通の花火ですら、ひどく長持ちして、
なんだか時間を止める魔法でも
使っているみたいでした。
おや、逃げ遅れた鬼が
こんなところに。
ハロウィーンが終わる前に、
地底へお帰り。
ほら、あのひとだまが、
ふらふら飛んで行く方向へ。
***
今年もハロウィーン通信にお付きあいくださって
ありがとうございました。
皆さまのハロウィーンが
楽しく、心躍る宵になることを祈って。
~猫やの三魔女より~
2012
10.29
おや、サタンの若殿さま
‥‥と、この呼び名はいけないんでしたね、
どうなさったんです、久しく見ないうちに
ずいぶんと──お太りに、いえその、
ずんと厚みが増されたようですが。
そりゃ、あなたがどんな姿にも自在に変われる事は
よっく存じあげておりますけれど。
それにしたって、昔はあんなに薄い文庫に
小さな文字でぎゅうぎゅう詰めだったのに、
今じゃこんな大きな文字でゆったりと行間も空いて、
らくらくとしたご様子のぶん、ずっしり厚くなって。
いえ、本当ですってば。
そんなにおっしゃるなら比べてみましょう。
すっかり黄ばんで指がかさかさしますが、私の手持ちの
『ファウスト(一)』(著/ゲーテ 訳/高橋義孝 新潮文庫)では
初版発行が昭和四十二年で311頁、
現在書店の店頭に並んでいる新潮文庫
『ファウスト[一]』は381頁で、訳は同じなのに
ほらね、二割も厚くなっている!
改版は平成二十二年、
なあんだ、つい最近じゃあありませんか。
もしかして集英社の新訳版を意識されました?
いえ、いいんですよ、当節は見た目でもとっつきやすいほうが。
行間が広がったぶん振り仮名もたくさん振れますし、
馴染みのなくなった言葉を少しわかりやすく
例えば「埒(らち)」を「柵」に置き換えたりして、
‥‥あれ?
己がある刹那に向かって、
「とまれ、お前はあまりにも美しい」といったら、
なんと、博士のあの契約の言葉までマイナーチェンジ!
私が知っているのは
「とまれ、お前は本当に美しい」
たしかに、ずいぶん読みやすくなったという評判です。
でもねえ、我が昔馴染み、メフィストーフェレス。
いくら当世風に工夫を凝らしてみたところで、
結局あなたは博士の魂を
手に入れる事はできないのでしょう。
努力する人間は救われて、
努力する悪魔は損をするなんてねえ。(ナルシア)
『ファウスト〈1〉』
著者:ゲーテ
訳者:高橋義孝
出版社:新潮文庫
2012
10.28
ブロンクス公園にあるニューヨーク植物園へ
10月中にお出かけの方は、ラッキーです。
植物園の中にハロウィーンの日まで
巨大カボチャでできたゾンビたちが、今やおそしと
あなたを待ってくれているからです。
つくったのは、Ray Villafaneのチーム。
もともとパンプキンカービングで有名な方らしいですが、
その腕前は、まさにプロフェッショナル。
なんといっても、腐りゆく運命のカボチャと、
生ける屍・ゾンビという組み合わせがシュール。
個人的には、最終日のニオイを嗅いでみたいなあ。
※行けない方は、カボチャクッキーでもどうぞ。
2012
10.26
子供たちがハロウィーンのイベントを
楽しむ姿を見て思い出されたのでしょう。
昨年、地方紙の読者投稿欄に、年配の方が
幼い頃親しんだという行事について書いていました。
それは旧暦一月十五日、
いわゆる「小正月」に行われていたもので、
子供たちが集団となって地域の家々を一軒一軒訪れ、
「かいつり、かいつり」とはやす声をかけ、
餅や菓子などを貰って回った、というものでした。
ほんとうだ。語源はわかりませんが、
まさしく「トリック・オア・トリート」ですね。
いまはすたれてしまったのを惜しんでおられました。
柳田国男の『雪国の春』の中で
思いがけず、その行事に行き当たりました。
男鹿半島の風光を讃えた『おがさべり』という紀行文の中で、
当時は衰えかけていた「ナマハギ」の
風習について述べている部分です。
奥州では恐ろしい姿と恐ろしい声で訪れる正月神は、
仙台から南へ行くと、目出たい事を述べて
酒や餅を貰うようになります。
更に下ると多くの地域では小児の仕事になって、
関東のタビタビ(給え給え)、
中国のホトホトまたはコトコト(戸をたたく音)、
瀬戸内海から「カユヅリ」
──これだ。
もとは交易の申込みであったろうが、
もうこの方面では単なる物もらいに近く、
したがって小児ばかりがこれに参与するゆえに
小学校ではやかましくこれを制止する。
『北国の春』 著/柳田国男 角川ソフィア文庫
昭和二年の記述です。
投稿者の方が幼い頃楽しんだ行事は
伝統として継承されなかったというより、
教育上よろしくないとされたのかもしれません。
それでも、雪国では「悪い子はいねがー」と
荒ぶる異相の神が地域を訪なう有名な行事が残るように、
南の各地にもところどころ、正月神に仮装した子供たちが
菓子を振る舞われる祭事が残る地域もあるようです。
もてなしが十分でないときは仕返しをするという土地も。
もとは土地の神だったものが化物の姿になり果てたのは
後に広まった仏教がその地でも力を持つようになったからで、
キリスト教が広まって地域神が魔物扱いになるのと似ています。
ハロウィーンは古代の新年の前の晩、
ナマハギ・カイツリは旧い暦の新年の行事ですが、
ヒトが異形の姿を模して地域を訪れ、
各戸でもてなされ慰撫されるという形はほぼ同じ。
──お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ。
爺様。
懐かしい風習は、失われたのではないのかもしれない。
現代の子供たちが楽しめるよう、びっくりするほどハイカラに
姿を変えて戻って来たのかもしれません。(ナルシア)
→ 2014年10月17日 「小正月の和製ハロウィーン」
※四国の「かいつり」について
『雪国の春』
著者:柳田国男
出版社:角川ソフィア文庫