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Archive for the ‘世にあって’ Category

3月
04

お雛様に謝る。

箱を開けたとたん、

どきっとするような表情と目が合った。

泣きそうな、というのか、気が狂いそうなほどの

表情に見えたのだ。

2年もお顔を見ていなかった、もとい、お祭りをしなかった。

3月中旬にあった父の法事やら、お雛様を飾る担当の母が

日帰り旅行をするのやらで。

あまりにも久しいので、

私が箱を開けたのは、今年、3日の夜であった。

昨年、お雛様を出さなかった。母が胃腸炎になった。

今年もお雛様を出してなかった。母がまた胃腸炎になった。

2年とも、母は旅行をキャンセルした。

そして数年前のことである。このお雛様をしまう時、私は、良かれと思って

お顔を薄く柔らかな和紙で包み、その紙でこよりを作って

お顔の上を、ほどけないくらいに結んだ。

1時間もしたころ、スーパーで買い物していた母が突然息苦しくなり、

お店の人に水を飲ませてもらったというので、

あわててお雛様のお顔から、紙を取り除いた。そんなことがある。

お雛様は私を守ってくれているはずだから、

何かあると、私ではなく、出し入れ担当の母に、

訴えるのかもしれないなあと思った。

今年も法事を控えているので、質素な飾り方だけど、

赤い布の上にお雛様とお内裏様を並べ、お酒をまつる。

3日はあり合わせのイチゴなどお供えをして、花がないので

植木鉢からオレンジ色のビオラを摘んで、皿に浮かべて。

4日のきょうは、2割引になった雛餅、ピンクの花、

お菓子を増やし、ハーシーのキスチョコを

5人囃子と3人官女に見立てて、二人の前に並べてみた。

お雛様の表情が、だんだんほどけてゆく。

不思議だけれど、ちゃんと感応しているのだ。

いまは、うれしそうに微笑んでいる。

相済まぬことをしました、お雛様。

もう行き遅れの心配はないから、いましばらく

表に出ていてください。

 

 

1月
19

ひと言で。

かつて法律を学んだことのある

シィアルに、きいてみた。

「憲法ってなに?」と。

すぐに返ってきた答えは

「国としての理念や、考え方。」

「それは、国のコンセプトみたいなもの?」

「まあ、そんなようなもの。」

 

という会話になった。

身にしみるように、そういう概念が

法律を学んだ人のなかには入っているのだろう。

この問いに、私はこれほど簡潔には

答えられない。

私が美術系出身だから、というのも

あるのかもしれないが、

法とは何かを深く学ばなかったという意味では、

他の学問分野でも似たりよったりだろう。

このごろ特に思う。

行政や政治家、そして図書館には

法学部出身者を、適度に配置すべきだと。

そうすることで、権力を見張ることにも

なるのだと。

 

 

1月
04

やがて本になる。

昨年は都合3冊の本を仕事でつくらせてもらった。

そのうち2冊は私家版で、1冊は売り本である。

そして、シィアルのおかげで、お天気猫やでも

ナルシアの日記を2冊と、「クリスマスの種」を

ネット出版で本の形にすることができた。

年も明けてそろそろ、「ナルシアのハーブガーデン」も

できあがってくる予定である。(いずれも数部しか作っておらず、非公開)

こちらは彼女を知る友人に表紙を描いていただいた。

猫やの本化は、まだつづく。

あらためて読むにつけ、

ナルシアのたぐいまれな才を、

活字として世に出したいと思う。

猫や以前の数年間に

3人がやり取りしていたファクスでの便りも

感熱紙が消える前に、複写しているところである。

自分たちがこれほどファクスという当時の

新しいおもちゃで遊んでいたことを

私もシィアルも忘れていた。

まだメールがなかった頃なのだ。

ファクス時代、最も熱心だったのは

ナルシアであった。

 

 

 

 

8月
12

見本までに1年半。

昨年の3月に依頼され、いわゆる仕事ではない

形で引き受けた、本づくり。

自分で編集して作る依頼本としては、2冊目になる。

知人のグループの探検記録11回分を、

編集して一冊にまとめるというもの。

印刷ではなく出力で、私がワードでページも作る。

テキストの入力は、本人たちにしてもらった。

写真のスキャンは私。

400ページ余りになって心配していたが、

一昨日、やっと見本ができあがった。

ちゃんと本の形をしている。

簡易な作り方ではあるけど、本になった。

懸案だった表紙カバーの出力も解決した。

あと、もうひと息だ。

なんといっても、最終校正が終わってから

ファイルをつないで仕上げる作業が

2カ月というもの、まったくできなかったので

どんなにか待たせてしまったことと思う。

いつもの仕事の範囲を超えているので、

わからないことも次々に出てきて、

でも何とかかんとか、人の力も借りながら

クリアしてきたのだった。

大団円まで、あと少し。

 

10月
18

三日月の宵に

アビィと散歩しながら、呼んでみる。

夜風にまだ、夏の名残を思い出して。

もう一人の魔女を。

世界で一番風変わりなあの友の、

ささやくような、すばやい声を

耳に響かせながら。

 

10月
17

透明な日々

水色に透き通った秋の日が、つづいている。

途中、2日ほど曇った日があったけれど、

穏やかな秋晴れが、ずっとつづいて、少しずつ

夏は遠ざかっていくのだ。

去年の夏に感じていた奇妙な違和感が

何を意味していたのか、あの時にはわからなかった。

わからなかったからこそ、

去年の刺激的な秋があった。

 

今年のこの秋晴れは、私たち3人の魂を、安らげてくれる。

 

10月
10

秋風に

今年二度目のキンモクセイが香っている。

土から菌を採取して研究したノーベル賞学者の話を

したかった。

秋が深まりつつある。

9月
29

9月の終わり。

それは、10月がすぐそこに来ていることを意味する。

まだ、黒い翼はうまく開かない。

それなら日記から再開してみれば?という声が耳もとで

ささやくような気がするので、久しぶりの日記。

昨夜のスーパームーン、声の主は見ただろうか。

今夜、目の前をよぎった黒猫は、誰の声に驚いたのだろう。

12月
05

ここから始まった世の中

イルミネーションがまたたいている。

ご近所の保育園跡地で、ご近所の女性たち有志が

毎年セッティングしてくれている輝き。

いつもはこわがって近くに行けないアビィが

今夜はやっと、足が進み

一緒に見てくることができた。

めずらしく一緒に走ったりもした。

ゆっくりと明滅する青い光が特に好き。

この保育園の門をあんなにくぐった季節があったのだ。

あのころ、ものを食べるということがひどく苦手だった。

世の中に対応するには、時間がかかった。

いまもって、右と左が即座にわからないのは

あのころと大して変わりないけれど。

7月
02

6月下旬のある日、高い山の山頂にはほんの少ししかいなかったが、

通過するにはしたのだった。

下山途中にはまだたくさんの拾うべき荷物が残っている。

そして、昨年の夏に孵化してしまったメダカの生き残り7匹(尾というよりも)を

同じ池に、昨日放流してきた。

まったくいなくなってしまうと落ち着かないので、

卵が残っているはずの水槽はそのままにしてある。

昨年生まれたメダカが1年たって、完全に親サイズに育ったものと

どう見ても子メダカなものに分かれていたのは、

単に孵化した時期が1週間ほどずれていただけのことだ。

その違いが、冬を迎えるまでの成長に影響して、

一方は子どもの姿のまま、この夏を迎えた。

これまでメダカは1年では親にならないと思っていたけれど、

夏の終わりに生まれた者だけが、成長が遅れるのだ。

個体差だけではなかったのだ。