3月
04

お雛様に謝る。

箱を開けたとたん、

どきっとするような表情と目が合った。

泣きそうな、というのか、気が狂いそうなほどの

表情に見えたのだ。

2年もお顔を見ていなかった、もとい、お祭りをしなかった。

3月中旬にあった父の法事やら、お雛様を飾る担当の母が

日帰り旅行をするのやらで。

あまりにも久しいので、

私が箱を開けたのは、今年、3日の夜であった。

昨年、お雛様を出さなかった。母が胃腸炎になった。

今年もお雛様を出してなかった。母がまた胃腸炎になった。

2年とも、母は旅行をキャンセルした。

そして数年前のことである。このお雛様をしまう時、私は、良かれと思って

お顔を薄く柔らかな和紙で包み、その紙でこよりを作って

お顔の上を、ほどけないくらいに結んだ。

1時間もしたころ、スーパーで買い物していた母が突然息苦しくなり、

お店の人に水を飲ませてもらったというので、

あわててお雛様のお顔から、紙を取り除いた。そんなことがある。

お雛様は私を守ってくれているはずだから、

何かあると、私ではなく、出し入れ担当の母に、

訴えるのかもしれないなあと思った。

今年も法事を控えているので、質素な飾り方だけど、

赤い布の上にお雛様とお内裏様を並べ、お酒をまつる。

3日はあり合わせのイチゴなどお供えをして、花がないので

植木鉢からオレンジ色のビオラを摘んで、皿に浮かべて。

4日のきょうは、2割引になった雛餅、ピンクの花、

お菓子を増やし、ハーシーのキスチョコを

5人囃子と3人官女に見立てて、二人の前に並べてみた。

お雛様の表情が、だんだんほどけてゆく。

不思議だけれど、ちゃんと感応しているのだ。

いまは、うれしそうに微笑んでいる。

相済まぬことをしました、お雛様。

もう行き遅れの心配はないから、いましばらく

表に出ていてください。

 

 

2月
20

薔薇の名前は

つるバラを庭に植えた。植えてしまった、というべきだ。

花好きだった祖父は裏庭の塀に、濃いピンクのつるバラを育てていた。

祖父が亡くなっても7,8年は咲いていた。やがて枯れてしまったのは、

今思えば、水さえお天気まかせで

肥料なども一切やらなかったせいだ。

ずっと忙しくて、バラを庭に育てる余裕などないと思っていたが、

昨年末に部屋の片付けをしたのがきっかけで、

仕事が10年ぶりにひと段落ついたこともあって、年明けから

これまでできなかったことを、少しずつやっている。

1月のある日、近所の園芸店で、バラの苗が

たくさん並んでいるのを見た。

つるバラを植えるという大胆な思いが胸をよぎり、

見るだけだからと打ち消して苗を見ていると、

シリウスという白くて芯が淡いピンクのバラがあった。

といっても、冬の苗はまだ葉も出ていない。

京成バラ園の札に、花の写真が印刷されていたのだ。

お店の人に聞くと、今がまさに植える時期で、遅くても

3月までには植えねばならないという。

その日はそのまま帰った。

そしてまた、ある日、見にいった。もう2月である。

シリウスはまだ売れておらず、他の苗も減っていない。

この地の気候は、そもそもあまりバラ向きではないし、人もバラ向きではない。

その時は、スコップと土を買ってみた。小さな葉が出始めている。

そしてとうとう、ある寒い日の夕方、シリウスを買って帰った。

肥料も添えて。買ってから、しまったと思った。

自分の手に負えるものではないのにと。

でも、もう小さな葉がたくさん出ている。

買ったからには、土に植えねばならない。つるバラは。

直前になって、やはり裏庭は気候条件が厳しすぎるので

初心者としては、南の庭にしようと変更する。

車庫のブロック塀に沿って、南に面した、家の建物から

見えない場所なのだが。そこに祖父がずっと前に植えた

深紅のバラが、まだ生きているのだ。だからバラ向きのはずだと。

夕方、スコップで土を掘り、肥料も適当に入れて、

シリウスを植えた。とてもしっかりした苗である。

そしてシリウスはその日も、翌日も、

肥料の匂いに引き寄せられたアビィに根元を掘られた。

その都度、何とか土を埋め返して、少しずつ

葉を伸ばしているように思うが、まだ10日だから何ともいえない。

枝が伸び始めたら、支柱を立てねばならない。

形をどうするか、決めかねている。

悪い虫が付いたら、消毒薬も買ってこよう。

四季咲きのシリウス、ほんとうに咲くだろうか。

この冬に、やっとわかるようになった星と同じ名前の

つるバラ、シリウス。

ナルシアがいたら、シリウスをどう世話すればいいか、

あれこれ聞いていただろうに。

 

 

2月
09

引き寄せる。

冬ブロッコリーの甘みのある茎を

ゆでて食べたいと思っていた。

去年の冬に食べた味が、ずっと舌に残っている。

ちょうど数日前にブロッコリー畑の取材もしたのだが、

そこのは口に入らなかったので、よけいに

思いが募っていたのだろう。

アビィの夜の散歩で、近所の人が

夜なべ仕事の作業小屋から出てくるのに行き合う。

その家がどんな野菜を作っているのか、前々から気になっていた。

たずねたら、ブロッコリーだと言う。

気前よく、収穫したての2茎のブロッコリーを分けてくれた。

意気揚々と帰宅して、すぐにゆでて食べる。

茎が甘くおいしかったのはいうまでもない。

ありがとう、冬ブロ。

次は春ブロを(笑)

 

 

 

1月
19

ひと言で。

かつて法律を学んだことのある

シィアルに、きいてみた。

「憲法ってなに?」と。

すぐに返ってきた答えは

「国としての理念や、考え方。」

「それは、国のコンセプトみたいなもの?」

「まあ、そんなようなもの。」

 

という会話になった。

身にしみるように、そういう概念が

法律を学んだ人のなかには入っているのだろう。

この問いに、私はこれほど簡潔には

答えられない。

私が美術系出身だから、というのも

あるのかもしれないが、

法とは何かを深く学ばなかったという意味では、

他の学問分野でも似たりよったりだろう。

このごろ特に思う。

行政や政治家、そして図書館には

法学部出身者を、適度に配置すべきだと。

そうすることで、権力を見張ることにも

なるのだと。

 

 

1月
04

やがて本になる。

昨年は都合3冊の本を仕事でつくらせてもらった。

そのうち2冊は私家版で、1冊は売り本である。

そして、シィアルのおかげで、お天気猫やでも

ナルシアの日記を2冊と、「クリスマスの種」を

ネット出版で本の形にすることができた。

年も明けてそろそろ、「ナルシアのハーブガーデン」も

できあがってくる予定である。(いずれも数部しか作っておらず、非公開)

こちらは彼女を知る友人に表紙を描いていただいた。

猫やの本化は、まだつづく。

あらためて読むにつけ、

ナルシアのたぐいまれな才を、

活字として世に出したいと思う。

猫や以前の数年間に

3人がやり取りしていたファクスでの便りも

感熱紙が消える前に、複写しているところである。

自分たちがこれほどファクスという当時の

新しいおもちゃで遊んでいたことを

私もシィアルも忘れていた。

まだメールがなかった頃なのだ。

ファクス時代、最も熱心だったのは

ナルシアであった。

 

 

 

 

8月
12

見本までに1年半。

昨年の3月に依頼され、いわゆる仕事ではない

形で引き受けた、本づくり。

自分で編集して作る依頼本としては、2冊目になる。

知人のグループの探検記録11回分を、

編集して一冊にまとめるというもの。

印刷ではなく出力で、私がワードでページも作る。

テキストの入力は、本人たちにしてもらった。

写真のスキャンは私。

400ページ余りになって心配していたが、

一昨日、やっと見本ができあがった。

ちゃんと本の形をしている。

簡易な作り方ではあるけど、本になった。

懸案だった表紙カバーの出力も解決した。

あと、もうひと息だ。

なんといっても、最終校正が終わってから

ファイルをつないで仕上げる作業が

2カ月というもの、まったくできなかったので

どんなにか待たせてしまったことと思う。

いつもの仕事の範囲を超えているので、

わからないことも次々に出てきて、

でも何とかかんとか、人の力も借りながら

クリアしてきたのだった。

大団円まで、あと少し。

 

8月
05

夏の山の。

この夏は、仕事でたびたび早朝の山へと赴いた。

夜明け前からのこともあった。

その清涼な時間に、清涼な山の畑で

シシトウを作っている農家のもとへ。

ビニールハウスではない、露地の畑。

やはり、露地は良い。

そういう仕事をしている人特有の、工夫した道具も良い。

真っ暗な中で、ヘッドランプをつけて収穫をするうちに

夜が明けてくる。

澄んだ一日のはじまり。

 

また別の朝には、お山の上のスイカ畑へと赴いた。

なんという風景だったろう。

本当は乗ってはいけない軽トラックの荷台へ

皆で乗せてもらい、狭い道を、ゆっくりと走るジェットコースターの

ように上がっていった。

山のてっぺんが、スイカ畑になっている。

露地のスイカの姿を久しぶりに見た。

一見わからない葉っぱの影に、大きなスイカが

ちゃんと育っている。

ほかのスイカが終わる頃に、里へ出てくる。

引き合いが多く、すぐ売り切れてしまう。

山の上で切り分けて食べさせてもらったスイカの味。

しっかりとした甘さ。食感。まだ夜露でひんやりしている。

平場のビニールハウスで作る芸術的なまでの

甘いスイカもすばらしいけれど、

お山のスイカには、山の暮らしそのものが

宿っている。しっかりと。

 

12月
26

土に。

あれは11月はじめの夜だったと思う。

アビィと散歩していたら、近所の道ばたに

野鳥が倒れ伏しているのに行き当たった。

口もとに鮮血を吐いていたので、ほんの少し前に絶命したと

わかったが、黒い瞳は澄んで輝き、

飛び立った命がしのばれた。

鳩ほどの大きさで、くちばしがひどく細長い。

見たことのない鳥だったので、帰って調べたら

チュウシャクシギのようだった。

それから何日たっても、田舎とはいえ人通りのある場所ではあったけれど、

民家の塀ぎわで茶と黒の保護色をしているせいか、

手をつけられることなく、私も傍観するばかりだった。

家の人も裏手なので気づかないのだろう。

やっと仕事が一段落したこともあり、

きょう、化石のような形で軽くなった鳥を拾い、

近所の山裾へ埋めにいった。

埋めるといっても、上に土を掛けるといったほうが

正しいぐらいで、もう野けものに漁られる段階でもない。

すっかり枯れた落ち葉とわずかな土におおわれ、

鳥の体は静かな場所を得たのだと思う。

それから帰ってきて、

やはり近所の散歩コースからもらってきていた

ジュズダマを庭の水場近くへ植え、

友人にもらっていた白椿の種を、鉢へ植えた。

 

土へと還るもの、

土から生きるもの。

ジュズダマや椿を、こんな時期に植えてよいのかは

わからないのだが。

チュウシャクシギはいつか、

目の前を羽ばたいてゆくだろうか。

ジュズダマが庭に実り、

白い椿が花びらをひらくだろうか。

2015年は、あてどなく生きてきたこの人生で

かつてなかったほどの年であった。

 

10月
20

天才に会う。

今夜、といっても日付が変わってしまったけど、

ひとりの天才に出会った。

今夜の仕事とは違うけれど、

私の担当しているインタビュー仕事の最終回は

この人だと、勝手に結論づける。

天才とは、あふれる才能を手にしながら

一生、のぼせ上がって生きていける人だと思う。

才能にのぼせるのではない、やりたいことと

いまだなしえていないことのはざまで、

もどかしさをかかえて、のぼせるのである。

 

10月
18

三日月の宵に

アビィと散歩しながら、呼んでみる。

夜風にまだ、夏の名残を思い出して。

もう一人の魔女を。

世界で一番風変わりなあの友の、

ささやくような、すばやい声を

耳に響かせながら。