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Archive for the ‘地めぐり’ Category

8月
05

夏の山の。

この夏は、仕事でたびたび早朝の山へと赴いた。

夜明け前からのこともあった。

その清涼な時間に、清涼な山の畑で

シシトウを作っている農家のもとへ。

ビニールハウスではない、露地の畑。

やはり、露地は良い。

そういう仕事をしている人特有の、工夫した道具も良い。

真っ暗な中で、ヘッドランプをつけて収穫をするうちに

夜が明けてくる。

澄んだ一日のはじまり。

 

また別の朝には、お山の上のスイカ畑へと赴いた。

なんという風景だったろう。

本当は乗ってはいけない軽トラックの荷台へ

皆で乗せてもらい、狭い道を、ゆっくりと走るジェットコースターの

ように上がっていった。

山のてっぺんが、スイカ畑になっている。

露地のスイカの姿を久しぶりに見た。

一見わからない葉っぱの影に、大きなスイカが

ちゃんと育っている。

ほかのスイカが終わる頃に、里へ出てくる。

引き合いが多く、すぐ売り切れてしまう。

山の上で切り分けて食べさせてもらったスイカの味。

しっかりとした甘さ。食感。まだ夜露でひんやりしている。

平場のビニールハウスで作る芸術的なまでの

甘いスイカもすばらしいけれど、

お山のスイカには、山の暮らしそのものが

宿っている。しっかりと。

 

10月
03

視界の向こうに。

隣町への往復に20年以上も車で通ってきた、高い土手と水路に沿った道。

その土手の向こうには大きな河があるのだけど、どんな風景に

なっているのか、このところ知りたくてならなかった。

そういう、何ということのない後悔を残していくと、

いつか大きな後悔になるように思える。

透明な秋の空気に暮れてゆく夕方、

車を停めて、土手をゆっくり歩いて上がった。

1本目の道を上がったら、そこはまだ河ではなくて

農地と家があり、さらに向こうの方に、

本当の土手があった。

そして数百メートル車を移動し、2本目の道を上がる。

そこにも農地はあったけれど、

大きな石垣をついたお宮があって、八幡様だった。

土手の向こうにあるとは、まったく知らなかった。

道に背中を向けている、土手のお地蔵様もお顔を見た。

土手の裾には秋草が赤や黄、白、紫に咲き乱れている。

この風景もまた、向こうにある本当の土手でさえぎられているけれど、

あと1か所、行ってみたい鎮守の森っぽいところが

あるので、近いうちに。

 

2月
27

水色に透ける白

昼の月と飛行機雲が、水色の空に重なって見えていた。
ここからだと同じ白い雲のように見える。
実際は異質のもの、遠くはなれたものだけれど。

そしてその重なりは、ある種神秘的なサインとなる。

1月
04

夢の国

12月、保育園跡地イルミネーションを裏側から眺めることができるのを知った。

夜の散歩しか行けないアビィのおかげで。

100mほどの距離だと思うけれど、保育園の建物がないので 裏の通りから畑や木のあいだに見えている。

それはイルミネーションの前に立って眺めるのよりも ずっとはかなくて、美しい。

夢の国のようなのだ。

色とりどりの光が、ここではないどこかへと誘う。

設置した人たちも気付かないだろう効果がある。

 

年が明けてもまだ、夢の国はつづいている。

あと数日のまたたきが。

12月
19

雪のかなた

昨日、5時半に起きると高速道路は動いていた。晴れた透明な空に、残月。

念のため、予定より早めに家を出て隣県の山奥へ。

やっとヘッドライトが消えるころ差しかかった

県境の山々は、雪のなかだった。

大丈夫、大丈夫、積もってはいないから。

言い聞かせながら、スピードをゆるめて山々の

トンネルを、いくつもいくつもくぐって。

現地での仕事を終えて、日暮れの前に明るい空の下へ戻る。

雪の山脈を越えて南へ行きたいと願う鳥のような

気持ちで、舞い戻る。

2月
09

またしても山

数年前に、年度末締切の長期仕事をかかえていた。
それが終わったころから始まった3年がかりの長大な仕事。
当初考えていた以上の割り当てをもらってしまった。
いよいよ締切が迫ってきて、予定では遅くとも
年度末までには仕上げねばならない。
住民ではないが関わりの深い町の町史をつづる。
謙遜でなく、こんな若輩者が携わってよいのかという悩みとともに
山の頂上をめざしている。
ただ、ここ10年ほどの、町を築いてきた産業との関わりのなかで
見聞きしてきたことや、新しく研究されたことなどの
近くにいたために、うまく書こうとしなければ、適任なのかも
しれないとも、思う。
地元でもそれだけ外向けに知られてないことが多く、
事情を最も知る人は、文章を書くのが苦手だという。
もちろん私の把握していないことがらもたくさんあるが、
おそらく把握されないまま終わるだろう。
20年以上前に、フリーで仕事を始めた時、
この産業に関わることには、社会的な貢献をしたいと
願ったし、できる限りのことはしてきたつもりだ。
その決意に従えば、断れない誘いだった。
40年以上にわたるできごとを書き残す今回の
町史の仕事が、私の力の及ぶ限りのことなのかどうか、そこが問題だが。
道を逆戻りすることはできないのだ。
キャラバンの一員となった以上は。
足許を踏み外さないように、進んでは休み、せめても
この荷物を良い状態で届けたいと願う。
頂上から眺める景色のことなど、考えずに。

11月
09

秋野菜

東京へ送るために見回してみて、
11月ごろというのは、みずみずしい野菜が
出回る時季なのだと改めて認識した。
これから冬へ向かう季節だから、そういう風には
思ってなかったのだった。
南国で食材に恵まれている土地ではあるが、
直販所ならずとも、スーパーでもけっこうな品揃え。
美しいものが手に入った。
冷蔵の宅配便で、ほぼ1日あれば向こうへ着く。
この土地にしかない2種類の野菜を含め、
箱を開けた感動が予想できるのは嬉しいことである。

4月
17

ひとり旅の疲れ

昼から、各駅停車の列車で1時間あまりの町へ出かけ、帰ってきた。
私にとっては初めてに近いことである。
現地にいたのは1時間半ぐらい。
その町へは割とよく行くのでそれなりの土地勘はある。
ふだんクルマ社会の人間なので、車窓の景色を確認したかったのと、
のんびり独り旅をしてみたかったのだが、
結果としては車窓からの確認ぐらいしかできなかった。
あと、乗り合わせた女子大生二人の恋愛模様を
いやおうなく耳に入れさせられた。
訪ねたのは400年ほど前にその地を治めていた領主を
祀った神社と、かなり古い喫茶店。
雑貨店にも行く予定だったが、隣駅へ移転していたらしく、
露地をさまよったのみ。
本も持たず、長距離を歩く体力もないしで、
30分以上時間が余ってしまった。
そうそう、駅弁を買って車内で食べる、というのも
実行できた。
冷えた鰻丼はおいしいとはいえなかったけれど。
前々からしたかったことを敢行した割に、
疲れはあるが、満足感は少ない。
訪ねる町を選び損ねたのかもしれないし、
そもそも、そういうことが楽しめないつまらぬ人間に
なったのかもしれない。
なぜか地元駅の券売機で切符を買うのに
手間取っていたら、年配の職員が来て助けてくれようと
したのだが、その人も買い方がわからず、
有人の窓口で買うことになってしまった。
しかも切符は、思った以上に高かった。
もし今度、独りでどこかの町を訪ねたくなったら、
クルマで行くことにしようと思った。
それならば、心配なく、のんびり独り旅ができるだろうと。
つまらないけれど、のんびりと独り旅はできる。
でも、列車独り旅につきものの、乗り間違いを危惧する
ドキドキ感は減るだろう。

7月
22

葉っぱの天ぷら。

1年近く会いたかったケルト人に、
行き止まりの山岳集落で会った後、
お昼ごはんを、帰り道の直販所で食べた。
シャキシャキとおいしい野菜の天ぷらがあると、聞いていたので。
天ぷらの定食はリーズナブルな値段で、
野菜ではなく、山菜でもなく、主に葉っぱ類だった。
しかもほとんどが、何の葉っぱだかわからない。
あるじに訊ねようかと思ったが、
面倒になってしまって、そのまま帰った。
見たことのあるような、ないようなものを
いろいろ食べるというのは、
少しだけ異次元へ入った感じに似ている。
入ったことは、ないのだろうけど。

6月
24

夏至の次の夜

6月22日、夏至の翌日。
1500mの山頂から眺める夜空。
薄い雲がかかっているが、星はたくさん見えている。
南の空にさそり座を探して、あのあたりに――
雲のようなもやのような、あれが
天の川なのだと、皆がやっと結論づけたのは
8時から2時間ぐらい粘ってからだった。
いずれふたたび、どこかの山へ登ることになるが、
この好天は奇跡的ではあった。
視界に拾った流れ星は2つだけ。