10月
17

透明な日々

水色に透き通った秋の日が、つづいている。

途中、2日ほど曇った日があったけれど、

穏やかな秋晴れが、ずっとつづいて、少しずつ

夏は遠ざかっていくのだ。

去年の夏に感じていた奇妙な違和感が

何を意味していたのか、あの時にはわからなかった。

わからなかったからこそ、

去年の刺激的な秋があった。

 

今年のこの秋晴れは、私たち3人の魂を、安らげてくれる。

 

10月
10

秋風に

今年二度目のキンモクセイが香っている。

土から菌を採取して研究したノーベル賞学者の話を

したかった。

秋が深まりつつある。

10月
03

視界の向こうに。

隣町への往復に20年以上も車で通ってきた、高い土手と水路に沿った道。

その土手の向こうには大きな河があるのだけど、どんな風景に

なっているのか、このところ知りたくてならなかった。

そういう、何ということのない後悔を残していくと、

いつか大きな後悔になるように思える。

透明な秋の空気に暮れてゆく夕方、

車を停めて、土手をゆっくり歩いて上がった。

1本目の道を上がったら、そこはまだ河ではなくて

農地と家があり、さらに向こうの方に、

本当の土手があった。

そして数百メートル車を移動し、2本目の道を上がる。

そこにも農地はあったけれど、

大きな石垣をついたお宮があって、八幡様だった。

土手の向こうにあるとは、まったく知らなかった。

道に背中を向けている、土手のお地蔵様もお顔を見た。

土手の裾には秋草が赤や黄、白、紫に咲き乱れている。

この風景もまた、向こうにある本当の土手でさえぎられているけれど、

あと1か所、行ってみたい鎮守の森っぽいところが

あるので、近いうちに。

 

10月
02

夜道のクロネコ

何かを誘うように、夜道のまんなかに立ち止まって

こちらを見るクロネコ。

宅配便ではなく、魔女の使いの猫。

どこの魔女が寄こしたのだろう。

バックミラーを見ると、もういない。

9月
29

9月の終わり。

それは、10月がすぐそこに来ていることを意味する。

まだ、黒い翼はうまく開かない。

それなら日記から再開してみれば?という声が耳もとで

ささやくような気がするので、久しぶりの日記。

昨夜のスーパームーン、声の主は見ただろうか。

今夜、目の前をよぎった黒猫は、誰の声に驚いたのだろう。

2月
27

水色に透ける白

昼の月と飛行機雲が、水色の空に重なって見えていた。
ここからだと同じ白い雲のように見える。
実際は異質のもの、遠くはなれたものだけれど。

そしてその重なりは、ある種神秘的なサインとなる。

1月
04

夢の国

12月、保育園跡地イルミネーションを裏側から眺めることができるのを知った。

夜の散歩しか行けないアビィのおかげで。

100mほどの距離だと思うけれど、保育園の建物がないので 裏の通りから畑や木のあいだに見えている。

それはイルミネーションの前に立って眺めるのよりも ずっとはかなくて、美しい。

夢の国のようなのだ。

色とりどりの光が、ここではないどこかへと誘う。

設置した人たちも気付かないだろう効果がある。

 

年が明けてもまだ、夢の国はつづいている。

あと数日のまたたきが。

12月
19

雪のかなた

昨日、5時半に起きると高速道路は動いていた。晴れた透明な空に、残月。

念のため、予定より早めに家を出て隣県の山奥へ。

やっとヘッドライトが消えるころ差しかかった

県境の山々は、雪のなかだった。

大丈夫、大丈夫、積もってはいないから。

言い聞かせながら、スピードをゆるめて山々の

トンネルを、いくつもいくつもくぐって。

現地での仕事を終えて、日暮れの前に明るい空の下へ戻る。

雪の山脈を越えて南へ行きたいと願う鳥のような

気持ちで、舞い戻る。

12月
05

ここから始まった世の中

イルミネーションがまたたいている。

ご近所の保育園跡地で、ご近所の女性たち有志が

毎年セッティングしてくれている輝き。

いつもはこわがって近くに行けないアビィが

今夜はやっと、足が進み

一緒に見てくることができた。

めずらしく一緒に走ったりもした。

ゆっくりと明滅する青い光が特に好き。

この保育園の門をあんなにくぐった季節があったのだ。

あのころ、ものを食べるということがひどく苦手だった。

世の中に対応するには、時間がかかった。

いまもって、右と左が即座にわからないのは

あのころと大して変わりないけれど。

11月
28

柚子の季節に

奇妙な夏、と8月に書いたけれど

赤い実を鈴なりにつけていた珊瑚樹は、

やはり伐採されてしまった。

避難路を造るために。

切り株すらも残さずに。

つまりは、私たちのために。

それは10月の22日で、

私はそのころ揺れに揺れる瀬戸内海の船上におり、

親しい人が大きな手術を受けていた。

そのために、珊瑚樹の最後の日を

記憶がつづくかぎり、覚えているだろう。

いまは境内に残る彼女の仲間が、

彼女がしていたように、ほかの生命を養っている。