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Archive for the ‘世にあって’ Category

6月
10

ブログが新しくなってもまだ、

山登りはまだ続いている。

いったん自分の分を出し終えて頂上に旗を立てたのだが、

他のメンバーからおすそ分けをもらうために

キャンプまで旗をもらいに行った。

最終的な登頂はいつになるのか。

間違いなく今月中に、頂上からの景色を拝んでいるはずである。

それにつけても、道は長い。

 

1月
02

年を越して。

年越しそばを食べるのは、
新しい年へ無事に滑り込むように願っての行事だと、
地元民俗学の先生がおっしゃっていた。
そばを食べるのはなんとなく関東の習俗だと思っていたが、違った。
ただ、こちらの地元では麺にするのではなく、
そばがきにしていたらしい。
そばは、粘る。なるほど、するするっとね。
民俗学の講座は地元新聞社の文化教室で、
昨年の1月から月一度通っている。
毎回、ものすごく有益なのだが、情報があふれ出して
この頭からもれていく。
でもノートは多分、誰よりも熱心に取っている。
12月に学んだもっとすごいことは、正月に欠かせない絶対的
アイテムが、お餅だということである。
それすらも知らなかったのである。

12月
10

フルトマのように。

今年は年回り的にも体力的にも家族の状況的にも
無理をしないほうがいいと判断し、
仕事を減らしたり減らされたりしてきたおかげで、
後半とみに財布が軽かった。
ペースも落ちているので、いつもいそがしくて
気持ちがせかせかしていた。
そんななかでいいものができるかどうか
わからないのだが、
ハウスで育つ冬のトマトたちは、水をおさえて
葉を枯れさせられてこそ、甘くおいしく実るのだ。
何もかもが満ち足りた人生などない。
わかってはいるけれど、
フルトマのような環境は願わない。
私の葉は枯れて見えるだろうけど。
今年、身近な人に聞いた人生の摂理。
すべてを手に入れることはできないので、
多くを手に入れたら、かわりに何かを失う。
そういうふうになっているのだと。
それがルールなのなら、大胆な望みを叶えるべきでは
ないということである。覚悟もなしに。

6月
02

枕元にタマネギ

スライスしたり、みじん切りにしたタマネギを
枕元に少しばかり置くと、安眠できるのだという。
しかもこれは世界中で実践されているのだと。
思いもかけない、生活の知恵である。
ただし効き目はまだ試していない。

5月
21

私のための最初の家具

ベビーダンスと呼ばれる家具は、本来、親がごく小さい子どものために
買うものなので、少なくとも10才ぐらいになったら、
親の手で処分しておくほうがよいと思う。
うちの場合は親が処分せず、捨てる決心のつかなかった未婚の娘つまり私が、
おそろしいほど何十年も部屋に置いて、眺めては気を滅入らせていた。
ちなみにこの娘、ちゃんとした箪笥の類いを持っていない。
ベビーダンスは主に死蔵品の物入れとして使っていた。
買ってきて2年越しの棚を組み立てたので、ついにベビーダンスとの生活を
やめることを決意した。人生このままではいけないのだ。
一応母にも聞いたが、さすがに反対はされなかった。協力も。
そして昨日、扉のところにミッキーマウスの絵が入った(娘はミッキー好き
ではなかったが)ベビーダンスを二階の廊下から独力でガキゴキと
階下へ運び降ろし、階段下の角が曲がりきれなかったので
計画を一部変更して、広い裏口から出すことにした。
裏庭の門を出て、路上経由で回転させながら前の門から入り、いまは軒先で
来週の粗大ゴミの日を待っている。
自分でもよくやったというか、搬入をする時のパワーみたいなものが出た。
今回引き出しを抜いてみてわかったが、底がベニヤ板ではあるものの、
他のパーツは木で、けっこうしっかりしていた。
ベビーダンスのあった廊下には、白いラックと猫タワー、
木の椅子を置いている。
紙であふれている室内にくらべれば、ほっとする空間になった。
設計集団ピトリピコリの代表の方が以前書いていたように、
今いる場所で満足して暮らせるように工夫や努力をすることが
まず大切で、新しい建物以前の問題なのだった。
ずいぶん時間がかかったけれど。
春から並行して始めている仕事の資料(ほとんどが単なる経過記録)捨ても、
なんとか夏には終わらせたい。

12月
30

清盛伝

まだ最終回の録画を観ていないけれど、
最後に紹介される、ゆかりの地紀行を観て、
私もナルシアと同じことを思った。
耳なし芳一のオーディエンスとなった方々の、塚だ。
いまだ壇ノ浦へは参ったことがない。
けれど、想像の世界では、彼らとともに
芳一の琵琶を聴いた…はずである。
清盛伝、もとい、大河の『平清盛』。
視聴率は取れなかったというが、
くじけることはない。
時には苦しいほどに、人の変化を描き、
はるか未来の私たちに、ビジョンを見せて
くれたのだから。
信念をゆずらず、世間におもねずに。
そして私たちに、源氏物語や和歌の道を
かいま見せてくれた。
平家物語が、いまだ生まれる前の世を。
ある意味、アメリカの骨太なドラマを観ているような
感覚すら、あった。
「ザ・ホワイトハウス」を観るたび、
日本でこういうドラマは作れないのだろうかと
思ったものだった。脚本にも多くを教えられた。
清盛は武士の世をつくったが、
「平清盛」は日本のドラマ界で、戦ったのだ。
真実から目をそらさない姿勢をもって。
ことさらな解説をせず、わかるものにはわかるという姿勢は
昨今の風潮からは好まれないかもしれないが。
よくいわれる「中学生にわかる内容」というマスコミの指針には、
明らかに無理がある。
もうそろそろ、そんな欺瞞から抜け出す者も出てほしい。

12月
06

手帳に

先日、新しい手帳を買った。
といっても、買うのは基本的にいつも同じもので、しかも
ありふれたものなのだけど、
なんとなく、よく似ている別の手帳を選んでしまったので、
来年はお月様の満ち欠けが載っていない。
でもそのために買い直すのも面倒だから、
満ち欠けは携帯のアプリで見よう。
あるいは、月の形が載っているカレンダーを
手に入れればいいか。
食生活を改善中。寝る前は食べないとか、
食べたらしばらくじっとしているとか。
脂肪の多いものを知り、避けるとか。
睡眠も改善に着手。猫たちよ。

10月
17

ななめ歩き。

上体がななめにかしいで歩いていた。
立ち上がってしばらくの間は、特に前のめり。
昨年腰を痛めたりしたし、その後遺症か。
いや、過労であった。うすうすは気づいていたのだが、
そんなものなのだという無関心で、器を酷使していた。
ひとに言われて、やっと気づく。
休憩をとること、自分の時間をもつこと。
睡眠をとること。食べもの。
片づけやメンテナンスが、できにくくなっている。
物理的にも、精神的にも。
それが老いるということなのだろう。
週に1日は休んだっていい、ということを忘れて、
仕事がたまっていると休めないと思ってしまう。
睡眠に関しては、不規則な在宅仕事や
猫たち、犬の介護やらで、当分、まとまって
ぐっすりとは眠れそうにないから、
1サイクルずつの眠りでも、日中取っていくしかない。
とにかく、これ以上年内の仕事は増やせない。
遊びも増やさないほうがいい。

5月
26

太陽の金のリング

5月21日、朝。
フィルターが要らなかったことと、見る気なのにもかかわらず
フィルターを買わなかったことの関連は、
ただケチってしまっただけなのだろうか。
庭先で、雲の透き間を透かして見た、
数十秒間の、太陽の金のリング。
小鳥の声はその間も、
ちらほらと聞こえていた。
犬たちは朝食を待っていた。
この感じは曇り空にしても
きっと暗いのだろうなと思ったが、
この季節の曇りの朝を、それほど知らない。
金の輪が少しずつ元にもどろうとする時、
1点が大きなダイヤモンドのように
きらめいていた。
金環日蝕の瞬間に指輪を渡して
プロポーズした人がニュースにでていて、
あのダイヤモンドを思った。

2月
25

たかたか山。

去年見た里神楽の歌の一節に、
四方ふさがりの たかたか山なり…
というのがあって、耳にのこっていた。
数日前にもそのことを考えていたせいか、
朝がたの夢に出てきた。
峠の手前の急な坂を、せいいっぱい踏み込んで登ると、
向こう側になだらかな草の斜面があった。
そこで道からひょいと降り、丸くなって寝ころんでみた。
遠くの山は春の色をしている。
お日さまが当たって、これも神楽の場所の近くで聞いた、
「日の地」というのはこういうのだろうと思う。
でもなんだか落ち着かなくて息苦しくなり、
早々にあたたかい草地を後にした。
これほど仕事に凝りかたまった経験は初めてであった。
あった、と過去形で言っているのは、
今しがた、とりあえずの一段落を迎えられたからである。
たかたか山の尾根を歩いているのだろうか。