5月
04

朝と夜の習慣

4月の途中から、0655と2355を観るようになった。
さいしょは2355を友人に教えられ、しばらくしてから0655を知った。
部屋ではパソコンのテレビしかないので、基本的には
録画で観ている。
佐藤雅彦っぽいなあと思っていたら、監修していた。
教育テレビというものは、朝出がけにとか、夜寝る前にとか
わざわざ観ることはまずない。
0655はずいぶん前からやっていたのだった。
決まった時間に出勤する生活ではないけれど、0655を観ている。
最近早く寝るようになったとはいえ、12時に寝ることはまずないけど、
2355を観ている。
大人がする子どものような遊びという意味では、
猫やのハロ通にも血脈相通じるが、
(そして猫好きという大きな共通点もあるが)
同じ目的のために集まって遊ぶ(笑)人の数は
きっとものすごく多いのだろうな。

4月
22

カーさん

『カラスの教科書』(松原始・著)を手に入れ、読み始めた。
カラス好きが書いた、カラスの本が、ずっと
読みたかったのだ。
この本は、見るからにそういう気配だ。
さっそく引用してみよう。
”誰かのお土産らしいクッキーが置いてあるのだが、
カラス的には、当然、食べてもいいよね?”
そうかそうか、
「ボソ」と「ブト」ね。なるほどなるほど。。

4月
17

ひとり旅の疲れ

昼から、各駅停車の列車で1時間あまりの町へ出かけ、帰ってきた。
私にとっては初めてに近いことである。
現地にいたのは1時間半ぐらい。
その町へは割とよく行くのでそれなりの土地勘はある。
ふだんクルマ社会の人間なので、車窓の景色を確認したかったのと、
のんびり独り旅をしてみたかったのだが、
結果としては車窓からの確認ぐらいしかできなかった。
あと、乗り合わせた女子大生二人の恋愛模様を
いやおうなく耳に入れさせられた。
訪ねたのは400年ほど前にその地を治めていた領主を
祀った神社と、かなり古い喫茶店。
雑貨店にも行く予定だったが、隣駅へ移転していたらしく、
露地をさまよったのみ。
本も持たず、長距離を歩く体力もないしで、
30分以上時間が余ってしまった。
そうそう、駅弁を買って車内で食べる、というのも
実行できた。
冷えた鰻丼はおいしいとはいえなかったけれど。
前々からしたかったことを敢行した割に、
疲れはあるが、満足感は少ない。
訪ねる町を選び損ねたのかもしれないし、
そもそも、そういうことが楽しめないつまらぬ人間に
なったのかもしれない。
なぜか地元駅の券売機で切符を買うのに
手間取っていたら、年配の職員が来て助けてくれようと
したのだが、その人も買い方がわからず、
有人の窓口で買うことになってしまった。
しかも切符は、思った以上に高かった。
もし今度、独りでどこかの町を訪ねたくなったら、
クルマで行くことにしようと思った。
それならば、心配なく、のんびり独り旅ができるだろうと。
つまらないけれど、のんびりと独り旅はできる。
でも、列車独り旅につきものの、乗り間違いを危惧する
ドキドキ感は減るだろう。

3月
18

ときわの秘密

常磐御前とは多分関係ないが、トキワツユクサ(常磐露草)が
外来種だったとは。
葉が紫色のトラディスカンチャーを知人が育てていて、
これはトキワツユクサの園芸種なんだ、と思ったら。
トキワツユクサは昭和初期に日本へ持ち込まれてから
野生化していった外来種で、本来、ここにあるべきではない
植物だったのだ。
あるべきでない、といっても、
いろんな生命種が国境を越えてたくましく
生き残っている、あるいは在来種を駆逐しているので、
いまさらしようがない面もあるし、
初夏にトキワツユクサが日陰で咲かなくなったら、
とても残念なことだ。
いかにも、日本生まれなんですと言いたげな
あの花の風情は、適合がうまくいった例なのだろう。
木立の足下が好きなのか、
鎮守の杜に群生しているのをよく見かける。
日本の神様も、白い星のような花を気に入ったのだろうか。

3月
14

巡り来る、逝く

2月最後の日に、ルーを看取った。
安らかな顔が救いとなった。
15年と半分、一緒にいた。
あの、忘れられない9月1日に託された子犬。
2年ほど前から、坂道を転がり落ちるような老いにとまどっていたのは、
誰よりもルーだったのだろう。
老いるのは自然なことなのだが、
後半生はアビィとの関係で苦労をかけた。
このごろアビィが門のところで落ち着かなげに
クンクン鼻を鳴らすのは、そのへんを走り回る白い幻を
見ているのかもしれない。
最晩年は雨が降り始めると洗濯物のように濡れてしまって、
私までも雨が仇(かたき)になっていたが、
久しぶりの雨にも穏やかな気持ちでいられる。
ルーが明け方に逝き、雲ひとつない穏やかな朝がきて
伯母の四十九日が無事に終わった。
今日、お宮の山桜に一つふたつ、花びらが開いていた。

1月
30

5分の選択。

街で一番ちゃんとした書店へ、ずいぶん久しぶりに入った。
仕事の料理本を一冊買い、それから奥の文庫コーナーへ。
棚から抜いた本を、5分で衝動買い。
『風姿花伝』(世阿弥)
『墨東綺譚』(永井荷風)
『梁塵秘抄』(後白河法皇/川村湊)
『風土』(和辻哲郎)
『とるにたらないものもの』(江國香織)
読むのには5年もかかりませんように。
一度に5冊の文庫を買ったのは、仕事用以外には
初めてかもしれない。

12月
30

清盛伝

まだ最終回の録画を観ていないけれど、
最後に紹介される、ゆかりの地紀行を観て、
私もナルシアと同じことを思った。
耳なし芳一のオーディエンスとなった方々の、塚だ。
いまだ壇ノ浦へは参ったことがない。
けれど、想像の世界では、彼らとともに
芳一の琵琶を聴いた…はずである。
清盛伝、もとい、大河の『平清盛』。
視聴率は取れなかったというが、
くじけることはない。
時には苦しいほどに、人の変化を描き、
はるか未来の私たちに、ビジョンを見せて
くれたのだから。
信念をゆずらず、世間におもねずに。
そして私たちに、源氏物語や和歌の道を
かいま見せてくれた。
平家物語が、いまだ生まれる前の世を。
ある意味、アメリカの骨太なドラマを観ているような
感覚すら、あった。
「ザ・ホワイトハウス」を観るたび、
日本でこういうドラマは作れないのだろうかと
思ったものだった。脚本にも多くを教えられた。
清盛は武士の世をつくったが、
「平清盛」は日本のドラマ界で、戦ったのだ。
真実から目をそらさない姿勢をもって。
ことさらな解説をせず、わかるものにはわかるという姿勢は
昨今の風潮からは好まれないかもしれないが。
よくいわれる「中学生にわかる内容」というマスコミの指針には、
明らかに無理がある。
もうそろそろ、そんな欺瞞から抜け出す者も出てほしい。

12月
06

手帳に

先日、新しい手帳を買った。
といっても、買うのは基本的にいつも同じもので、しかも
ありふれたものなのだけど、
なんとなく、よく似ている別の手帳を選んでしまったので、
来年はお月様の満ち欠けが載っていない。
でもそのために買い直すのも面倒だから、
満ち欠けは携帯のアプリで見よう。
あるいは、月の形が載っているカレンダーを
手に入れればいいか。
食生活を改善中。寝る前は食べないとか、
食べたらしばらくじっとしているとか。
脂肪の多いものを知り、避けるとか。
睡眠も改善に着手。猫たちよ。

11月
27

黒と黄色

クルマで早朝のゴミ出しに行って、
帰ってから門口の落ち葉を掃いていたら、
お宮の大銀杏に、住民が来て留まった。
漆黒のカラス夫妻が、高い枝で鳴き交わす。
晩秋とめどなく、銀杏葉に映える黒きものたち。

10月
17

ななめ歩き。

上体がななめにかしいで歩いていた。
立ち上がってしばらくの間は、特に前のめり。
昨年腰を痛めたりしたし、その後遺症か。
いや、過労であった。うすうすは気づいていたのだが、
そんなものなのだという無関心で、器を酷使していた。
ひとに言われて、やっと気づく。
休憩をとること、自分の時間をもつこと。
睡眠をとること。食べもの。
片づけやメンテナンスが、できにくくなっている。
物理的にも、精神的にも。
それが老いるということなのだろう。
週に1日は休んだっていい、ということを忘れて、
仕事がたまっていると休めないと思ってしまう。
睡眠に関しては、不規則な在宅仕事や
猫たち、犬の介護やらで、当分、まとまって
ぐっすりとは眠れそうにないから、
1サイクルずつの眠りでも、日中取っていくしかない。
とにかく、これ以上年内の仕事は増やせない。
遊びも増やさないほうがいい。