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Archive for the ‘生きとし生けるもの’ Category

3月
18

ときわの秘密

常磐御前とは多分関係ないが、トキワツユクサ(常磐露草)が
外来種だったとは。
葉が紫色のトラディスカンチャーを知人が育てていて、
これはトキワツユクサの園芸種なんだ、と思ったら。
トキワツユクサは昭和初期に日本へ持ち込まれてから
野生化していった外来種で、本来、ここにあるべきではない
植物だったのだ。
あるべきでない、といっても、
いろんな生命種が国境を越えてたくましく
生き残っている、あるいは在来種を駆逐しているので、
いまさらしようがない面もあるし、
初夏にトキワツユクサが日陰で咲かなくなったら、
とても残念なことだ。
いかにも、日本生まれなんですと言いたげな
あの花の風情は、適合がうまくいった例なのだろう。
木立の足下が好きなのか、
鎮守の杜に群生しているのをよく見かける。
日本の神様も、白い星のような花を気に入ったのだろうか。

3月
14

巡り来る、逝く

2月最後の日に、ルーを看取った。
安らかな顔が救いとなった。
15年と半分、一緒にいた。
あの、忘れられない9月1日に託された子犬。
2年ほど前から、坂道を転がり落ちるような老いにとまどっていたのは、
誰よりもルーだったのだろう。
老いるのは自然なことなのだが、
後半生はアビィとの関係で苦労をかけた。
このごろアビィが門のところで落ち着かなげに
クンクン鼻を鳴らすのは、そのへんを走り回る白い幻を
見ているのかもしれない。
最晩年は雨が降り始めると洗濯物のように濡れてしまって、
私までも雨が仇(かたき)になっていたが、
久しぶりの雨にも穏やかな気持ちでいられる。
ルーが明け方に逝き、雲ひとつない穏やかな朝がきて
伯母の四十九日が無事に終わった。
今日、お宮の山桜に一つふたつ、花びらが開いていた。

11月
27

黒と黄色

クルマで早朝のゴミ出しに行って、
帰ってから門口の落ち葉を掃いていたら、
お宮の大銀杏に、住民が来て留まった。
漆黒のカラス夫妻が、高い枝で鳴き交わす。
晩秋とめどなく、銀杏葉に映える黒きものたち。

9月
15

仙人草

祖母の家で、砂利の間から顔を出していた白い花を
手折ってきた。
花火のように咲いている。ツタっぽい姿。
種が飛んで来たのか、いつもは生えない場所に、一株だけ。
今年はあちらこちらの道ばたで、この花をよく見かける。
手もとの図鑑で調べたところ、センニンソウ(仙人草)という。
扁桃腺炎の民間療法に使ったりするというのを
ネットで知った。
毒があるので、すりつぶして触れてはいけないと。
手折る時に茎を指でねじったけど、大丈夫かな。
などと、ウルシにかぶれる私は夜になってから心配。
きゃしゃに見えるわりに、伸び広がるらしいので、来年はどうなるだろう。
手折ってきた一輪は、試験管風の花入れに挿してある。
水揚げはすこぶる、よろしい。

8月
05

夏仔

軒先に今年2度目の雛が、5羽。
つばめは見分けがつかないので、親鳥が
去年の鳥かどうかもわからない。
今年の春仔は6羽いたけれど、
1羽落鳥して5羽巣立った。
もう明日にも、夏仔たちが飛びそうな。
夏仔というのは、春のに比べて
あまり鳴かないものなのだろうか。
それだけエサが充分にあるのだろうか。
夏仔たちは5羽すべてが生き延びた。

7月
29

無垢なるもの

山のカフェで、そこの一番あたらしい家族である赤ちゃんを見た。
まあなんと、かわいらしい女の子で、
この子を育てるためなら極悪非道にもなれるだろうというぐらい
無垢で美しい子であった。
つづいて、久しぶりに山を越えてもう一軒のカフェへ顔出し。
ここにもまた、一番あたらしい家族である子犬がいた。
まあなんと、かわいらしい賢い子で。
とってもくすぐられるけれど、どんなに頼まれても
いまはこれ以上生きものを育てられないし、そんなこと頼まれても
いないのだけど、
無垢であることは等しいのであった。
捨て犬だったという母親は、どうしても見ず知らずの人間に
触れようとはしないのだったが。

5月
07

ちょこちょこの草引きが、この春から日々の作業に加わった。
庭の小さな畑に私が何かを植えるのは、まだ先のことだろうけど、
とりあえずは、草ぼうぼうにならないように。
昨年は母の実家の草を力任せにクワでのして、
腰痛になってしまったから、今年は無茶をせず
適当に引いている。
すっかり老犬になったルーは、ほんの数メートル先の
畑へも、もう歩いて来ない。
このところ弱っていたものの、暖かくなってきて
フィラリアの薬を飲ませられるぐらい元気になったので、
ほっとしつつも、今度は暑さが気になるところ。
植物たちの移り変わりを見ていると、
人間もまた、実際はこのように移り変わって生きているのに
それと気付かないのだと、思う。
同じ毎日が、ずっとつづいていくように信じてしまって。

3月
24

見上げれば

ああ、もう咲き始めてしまった。
そうつぶやいた先には、お宮の山桜。
まだ少しだけれど、もう止めることはできない
春が、桜に触れてしまったのだ。
7分咲きぐらいが見目良い、緑がかった白い桜で、
花とともに、葉が少し出てくる。
氏神様の境内にあって、階段をのぼってゆくと
桜の下を通る格好になる。
隣り合ったもう一本の桜は、赤味がかった小ぶりの
花を咲かせる。白い桜が終わるころに。
春は誰にも止められない。
それでも、花びらゆれるひとときを、延ばしたい。

11月
10

鼻炎の出どころ

10月、シィアル推薦の耳鼻咽喉科を受診した。
漢方薬を(T社のだが)出してくれて、実際には全身診てくれる
女医さんだということで。
「ノドの手術をされましたか?」
「していません」
上咽頭炎との審判が下る。
自分に○○が2つあることはわかっていたが、
ノドの奥が狭く、両側が二重構造めいた仕上りになっているとは
知らなかった。
そのせいで炎症を起こしやすく、風邪や鼻炎(アレルギーテストもやった)、
耳と鼻をつなぐラインの炎症、頭重感、首や肩の凝りといった
もろもろの症状をも起こすことが多い、とは。
どうりで、この1年ほど出やすくなったクシャミと鼻水発作が、
横になると、あら不思議、ピタリと止まるわけだ。
それにしても、いったいいつからの。。
と考えると、これはものすごく長い付き合いのような気がする。
鼻うがいが効果的らしいので、本を取り寄せ中。
猫アレルギーも、ほんの少し、限度をオーバーしていた。
部屋の掃除も効果的だが、コロコロに頼って、掃除機がけはめったにしない。

8月
31

咲いてみよう。

小さな花は、おそるおそる咲いた。
短い2本の切り花、
黄色い花が終わったら水中に根がのびてきて、新しい蕾が
顔を出したから、そのまま窓辺に飾っておかれた。
でも、最初のつぼみは枯れてしまった。
次のつぼみも、開かなかった。
だからもう、長く伸びた根ごと、コップから出して
ごみ袋の一番上に捨てられていたのを、
哀れに思ったゴミ出し係に拾われ、陽の当たる
窓辺のコップに移し替えられた。
そして何度もつぼみを作ったけれど、
どうしてもコップの中では咲くことができないのだった。
そこで、やっと鉢の中に植えてもらって、土を頼りに
陽の当たる庭先で暮らすようになった。真夏の陽を浴びて。
最初のつぼみは、いかにも咲きそうだったけれど、
枯れてしまった。
もう黄色い色が、そこにのぞいていたというのに。
とうとう、ある朝のことだったか、
小さな花は、おそるおそる咲いた。
最初の花は、まだ上手に開かなかった。
それでも、以前楽しんだ黄色い花を思い出させてくれた。
次の花は、もっと上手に開いた。
3つ目の花は、のびやかに花びらをひろげた。
今はいくつものつぼみが、咲く時を
当たり前のように待っている。
ぞんぶんに咲いてくれるのだろう。
秋が来るまで、まだ時間があるのだから。
小さな花は、咲くことを思い出したのだから。